「このようにして、伝統は前進していく」
Sartoria Ciardi サルトリア・チャルディの新しい紹介映像で、私は全く躊躇することなくこのようなキャプションをつけた。
この不可解な一言には、ある意味が込められている。それはこの店が始まって以来一度も変わることなく持ち続けている、プロフェソーレ・ランバルディならではの感覚。すなわち…伝統とは鉄道のようなものだ、という感覚だ。
鉄道には駅がある。例えばナポリ・ガリバルディ駅とアメデオ駅の間にはカブール駅があり、モンテサント駅がある。
だから私たちはこのように把握している。ナポリには駅前広場のガリバルディがあり、「恐ろしい影の地区」の入り口カブール広場があり、生鮮市場が広がるモンテサントがある。
だがご存じの通り現実は違う。その駅と駅の間には無限のエリアがあり、人々の生活があり、無数の人生の物語がある。決して駅の周りだけが全てではなく、むしろその「隙間」にリアルな部分があると言っても過言ではない。
伝統もまた同じである。
La storia non si racconta.
サルトリアについて語るとき人々は「レナート・チャルディ」について語るし、「アントニオ・パニコ」についてや「ルイジ・ダルクオーレ」について語る。
だがその背景には多くの物語がある。例えばアントニオ・パニコの黄金期を16年前まで支えた、彼の失われた右腕とも言うべき「もう一人のアントニオ」の物語を知っているのは日本人では私だけだろう。そしてその「もう一人のアントニオ」も、いまだに職人としてスーツを仕立てている。
サルトリア・チャルディがレナートのものではなくフラテッリ(兄弟)・チャルディのものになったとき、多くの人々が失望した。「二代目は……」という揶揄がさまざまな方面から聞こえたものだ。
伝統は点ではなく、線だ。そのとき多くの人々はサルトリア・チャルディを「点」で見ていた。だからレナートが亡くなったとき、彼らは「これで終わりだ」と言った。だが私は彼らの会った瞬間にそこに「線」があることを感じた。
父はいつもお洒落だった。前日の夜から次の日のジャケットとシャツを用意して、朝になるとエレガントな装いでサルトリアへと向かった。私と弟は小さい頃から学校のない土曜日になると父親の仕事場に通った。
彼が仕事する姿はもちろん素晴らしかった。だがもっと印象的だったのは……父がお客さんとまるで友達のように会話ながらエスプレッソを飲み、食事をしてワインを飲み、そして工房では皆で楽しそうに仕事をしていることだった。
このような光景は実に魅力的で、自分もそうなりたいと思うようになるまでに時間は掛からなかった。
エンツォ・チャルディ
彼がこのように語るのは、決して誇張ではない。
つまりエンツォ・チャルディがこの「ナポリ仕立て」という伝統の世界に足を踏み入れたのは2017年に彼が工房を継いだときではなく、彼が50年前に父の背広姿に憧れ、工房の空気感に感動したときなのである。
そしてサルトリアを継いだ瞬間に、彼は伝統という長い「線」の先頭に立った。
And so the tradition goes on…
エンツォ・チャルディが初めてマスターカッターとして日本でトランクショーを開催したときから、多くのお客様にスーツを仕立てて頂いた。
それから5、6年の年月が経ち、そのお客様のほとんどが今でもトランクショーに参加してくださっている。
「前よりもっと良くなった」
この言葉を聞く度に、私には喜びを超えて尊敬と感謝の気持ちが沸き起こる。なぜなら伝統的な世界においてこの言葉ほど美しく、そしてかけがえのないものはないからだ。
サルトリア・チャルディの映像の最後に、このようなキャプションがある。
「今では世界中がエンツォの洋服を求めている。しかし彼の心は常に、私たちと共にある」
今ではサルトリア・チャルディはエンツォ・チャルディとイコールだ。ロンドンやパリでは当店の二倍の値段にも関わらず、顧客が殺到しオーダー会の予約が取れないほどになっている。
しかしそんな中でもエンツォは毎日私に電話をかけ、当店のお客様の名前を出しては、どんなに良いジャケットが仕上がりつつあるか、あるいはどんなに素敵なスーツに仕立てるつもりかを報告してくる。
なぜなら当店はまだエンツォ・チャルディがまだ大きな不安と共にハサミを握っていたときからいち早くトランクショーを開催し、当店のお客様はいち早く彼を信頼して、マエストロの名を背負ったばかりの彼に一生物のスーツやジャケットをオーダーしてくださったからだ。
最も有名で価値があるとされている物を選ぶのは簡単だ。それに対してまだ成長過程にあるものに投資するのは難しい。だからお客様が「前よりもっと良くなった」と仰るとき、私には限りない尊敬と感謝の気持ちが沸き起こるのだ。
「伝統は前進していく」
その長い物語を支えているのは他でもなくお客様であり、Sartoria Ciardiのタグがついた洋服はその物語の証人なのである。