洋服についての当店の考えは、常にぶれることなく一貫している。それは、スーツやジャケットはもはや必要ないということである。
しかし人間は必要性だけで生きているわけではない。文明の最も偉大な部分といえば明らかに「必要ない」もの、すなわち「文化」にある。
サルトリアが手作業で仕立てるスーツやジャケットは、あきらかに実用品ではなく文化的な財産である。
そしてその財産は博物館で分厚いガラスの向こう側に展示されている訳ではないし、クリスティーズやサザビーズで億越えの取引きがされているわけでもない。震える手でオンライン入札ボタンを押す必要はない。
この文化財は自分のために作られ、人生の貴重な一瞬一瞬を共に過ごし、一番大切な人との時間や、生涯の思い出になるイベントを美しく彩ってくれる。
「一度しかない人生、何を着て過ごすか」と真剣に考えたら「必要、不要」という観点をすっかり忘れて、仕立て服が欲しくなってしまう。
これは文明によって発展し、文化によって成長してきた人間の自然な道理なのである。
理想的なレザーバッグの条件
スーツは神話だ。スーツを買うのであれば、職人気質なマエストロが眉間に皺を寄せながら仕立てる一着が良い。木の作業台が重たい鋏でゴトゴト音を立てるような薄暗いサルトリアのタグが良い。団子屋の建物は自動ドアより擦りガラスの引き戸が良いが、それと同じである。
しかし、レザーバッグに関してはまた少し違う側面を持つ。ビスポークスーツが古代で言うところの宗教的な衣装であるならば、バッグは縄文土器に近い存在である。
我々にとってバッグはあくまで「必要なもの」である。
クラフトマンシップはもちろんのこと、実用性が必要だ。まずは毎日愛用できる頑丈さ。それを大前提として、その日の着こなしをグレードアップしてくれる優雅なデザインであることが大事だ。(卵の殻のように薄い縄文土器を作ったとして、誰がそれを愛用しただろう?)
この点でいえば、男性が持つのにぴったりなレザーバッグは案外少ない。美しいものは繊細で、頑丈なものは野暮である。この現実を痛感することが、どれほど多いことか。
私自身もまた、いくつものバッグで失敗を重ねている。高価なフランスメゾンのブリーフケースがノートパソコンの重みで思い切り型崩れして、ハンドルがぼろぼろになった時、私はどれほど「神が与えた労働」を恨んだことだろう。
カリグラフィが有名なブランドでやっと柄の無いモデルを見つけて手に入れたブリーフケースは、突然の無慈悲な雨ですっかり無惨な姿に変わってしまった。
かといって実用性を重視して選ぼうとすると、いまいち美しいものに出会えない。素材感が安っぽかったり、デザインがいまいちだったりする。美しく、そして頑丈で実用性があるバッグというのは永遠の課題であった。
私がAUGUSTO アウグストのバッグを熱狂的に愛する背景はここにある。
あるローマの紳士がこのバッグを愛用していたことから存在を知り、「ナポリ弁を話す怪しげな日本人が来た」と怪訝な顔をされながらも、頼み込んで日本展開を実現したのは、他でもない自分自身がバッグ選びで苦労していたからなのだ。
最後にたどり着くレザーバッグ
個人的にAUGUSTO アウグストは最後にたどり着くブランドで良いと思っている。
フランスメゾンのバッグや、人間国宝が縫い上げるバッグも、男であれば一度は買ってみたいものだし、それは「一度はフェラーリ」と同じく実に自然な欲求である。
しかし多くの人は、毎日フェラーリに乗ることを不便に感じるものである。繊細で高価なバッグは、その貴重さ故に手が遠のいてしまうこともあるのだ。
AUGUSTO アウグストのバッグは美しくエレガントで、柔らかな手触りが気持ちよく、そして驚くほどに実用的である。
どのバッグも一貫して美しいが、それぞれのバッグが異なる実用性を持っている。
例えば私が一番愛用しているCondotti コンドッティはマチが広くノートパソコンや充電器、単行本を入れて使うことができる一流のドキュメントバッグである。
そのうえスマートなシルエットで自立するので持ち運びは簡単だし、混雑したスターバックスでも足元に収まるので、誰かがバッグに躓いて大事な書類にマキアートをぶちまけるリスクが激減する。
そして値段もまだ現実的だ。もちろん他のブランドのバッグに比べたら高価かもしれない。だが、アウグストのバッグなら毎日使っても壊れないし、何年使ってもデザインに飽きが来ることがない。
これは7月の朝市に並ぶ巨大なズッキーニとプロフェソーレ・ランバルディのアウトレットセールを除けば、最もコストパフォーマンスに優れた買い物だ。
だから色々なバッグを巡って、さまざまなブランドの魅力を知ったあとでAUGUSTO アウグストにたどり着く人が多い。
目下アウグストのバッグの問題はたった一つ。なかなか手に入らないことである…..。
(続く)