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The Story of Irish Linen リネンが勝利する日
中世ヨーロッパにおいて平民の着る服はリネンであり、貴族の着る服はシルクやビロードであった。
これにはれっきとした理由がある。というのも、その時代のヨーロッパにおいてシルクはビザンツ帝国やそのさらに東方から輸入された高価な素材であり貴族や富裕層の象徴であったからだ。
一方でリネンは昔からヨーロッパ全域で栽培されていた。価格も安く、丈夫で手入れもしやすいことから、平民の服として活用されてきた。
だが時代が下った18世紀初頭、アイルランドにある機関が設立されたときからこの物語は少しずつ変化していくことになる。それは王立リネン委員会というイギリス政府によって設けられた機関で、アイルランドでのリネン産業を奨励するものだった。
それからアイルランド北部は世界最大のリネン生産地となり、その中心的な都市ベルファストは「リネンの都」と呼ばれるに至ったのである。
果たしてアイルランドで生産されるリネンは改良を重ね、20世紀前半にもなると数々の逸品が生まれることになった。
リネンがシルクに勝利する日。
夢のようにきらびやかな光沢、アイルランドの伝統的な織機が生み出す滑らかな質感。アイリッシュリネンは美しさと、柔らかさ、強さを兼ね備えた最高のファブリックだった。
ぎっしりと目の詰まった上質なリネンは高級生地としてヨーロッパ中で愛され、もはや平民の服ではなく紳士の服になった。
……だが終わりがきた。1950年代にはポリエステルの台頭が、60年代には中国やインドの台頭がアイルランドのリネン産業を急激な衰退へと向かわせた。70年代になると、かつて「リネンの都」と呼ばれたベルファストの工場が相次いで閉鎖された。現代になってアイルランドのリネンが見直され、復興が目指されているが、やはり失われた技術や織機の多くは戻らなかった。
そして結局、現代に残されたのは「ビンテージリネンへの飽くなき探求心」だ。
その一方で1950年代のビンテージリネンはほとんど残されていない。ここにある2着のジャケットが、この店で紹介する最後のビンテージになる可能性だって大いにある。
※そして残念なことに、このブログを執筆している最中に黒は売約済みとなってしまった。今回は煙草色のジャケット1着を紹介するとしよう。
1950’s TOBAK 煙草色のリネン
歴史を辿るような生地だ。アイルランドが最も美しい生地を作っていた最盛期の、ゆっくりと織り上げられた一着である。
その光沢はビザンツ帝国のはるか彼方、シルクロードを通って西方に運ばれる最上級のシルクと比べても遜色ない。まるでブロンズの細い糸を結って織り上げたかのような、華やかで繊細な光に満ちている。
それにこの色はあまりにも魅力的だ。リネンの専売特許とも言うべきタバコブラウン、ヒストリカルな陰翳と、オーガニックなトーン。光によって生み出されるコントラストは、バロック期の絵画のように鮮烈だ。太陽光のもとでは深いゴールドのような輝きを見せるし、夜になればブラウンの色気が滲む。
まるでアイルランドの博物館からくすねてきたような1950年代のビンテージリネン。黒やベージュですらも幻のような存在なのに、こんな色を見せてくれるとは人生は捨てたものではない。
失われていく選択肢の中、あまりにも美しいものが突如として現れたとき。そんなときチャンスを掴むのはたった一人だ。(面白いことに、大体そういうものはいつも同じ人が掴んでいくのである。今回は果たしてどうだろう)
Nicola Giordano Jacket 仮縫い付き MTM 通常価格 499,000円 → 特別価格 350,000円(+税)
※MTOは不可
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