Sartoria Ciardi ハウススタイルの究明

ハウススタイルは存在しない。

いや、もう少しちゃんと解説するのであればハウススタイルという言葉がエンツォ・チャルディから発せられたことはない。

逆説的だが、彼らにとっては彼らの伝統的なスタイルがあり、それを私たちが数多くあるナポリ仕立てのスタイルの中の一つとして認知して「サルトリア・チャルディのハウススタイル」と呼んでいるだけのことだからである。

だが人間というものはいくら「唯一無二のもの」だとわかっていても、それがその分野の中でどのような立ち位置にあり、どのような特徴を以て他と差別化されているのかを知りたいものだ。

サルトリアのスタイルを知ることはすなわち、それを着る自分自身がどのような空気をまとって、どのようなライフスタイルを生きるかを知ることだからである。

エンツォ・チャルディのハウススタイル

最初にエンツォがマエストロとしてチャルディを引き継いだ時、彼のスタイルはむしろ頑固とも言えるものだった。そこには現実というよりも確固たる意志と理想があった。

彼にはナポリでも有数の格式高いサルトリア、そして何よりも地元で最も広く愛されたマエストロのスタイルを2代目になってもパーフェクトに引き継いで行きたいという思いがあったからである。

人間的な余裕を感じさせるような広めの肩幅に、堂々としたラペル。襟は胸よりもずっと低い位置、いわばへその幾分か上まで剣のように伸び、それが飛行機の描くロールのようにくるりと返って丸みを帯びたフロントカットへとつながっていく。

その雨降らし袖は他のサルトリアに比べれば随分と小雨というべきか、過剰さを嫌い、日々の生活や何気ない瞬間を愛していたレナート・チャルディらしい控えめなギャザーがのっている。

ウエストは決して絞りすぎず、かといってルーズにはならず、小さめの拳ひとつ分で留められているし、背中はすっかりそのカーブに従い、両袖の後ろには可動域を確保するためのゆとりがドレープカーテンのように溜まっている。

もしサルトリア・チャルディの伝統的なハウススタイルを解説するのであれば、こんなところだろう。これは他のナポリのサルトリアとは明確に異なるディテールを持っている。

なぜなら一般的なナポリ仕立てはもっと男性的なセクシーさをアピールするような仕立てになっていることが多いからだ。(それは攻めた肩幅に誇張された雨降らし袖、タイトなウエスト、高いボタン位置などに代表される)

なぜそのようなディテールにならなかったかは断定できないが、しかりレナート・チャルディの人柄を思えば想像に難しくない。彼はエレガントで、優しく、博学な人物だったと誰もが口を揃えて言うのだから。

ところで、そんなスタイルを貫こうとした2代目エンツォ・チャルディの気持ちを理解しなかった顧客はいなかった。というより彼のその姿勢を皆歓迎していたのである。

だから2代目エンツォ・チャルディのハウススタイルは当初、ある意味レナート以上にその様式に忠実だった。

だが変化が訪れて、私たちが今見ているエンツォ・チャルディの仕立てはもっと優美で、もっと開放的な柔らかさを持つものになった。

それはエンツォ・チャルディ自身の言葉を借りるのであれば「顧客の心に寄り添うようになった」結果である。彼は当初非常に頑なにハウススタイルを突き通していた。しかし数々の顧客にマエストロとして接し、たくさんのスーツを納めていくうちにあることに気がついたのである。

それはレナートが作り出したこのスタイルは、彼が作ろうとして作ったものではなく、数多の顧客との対話によって生まれたスタイルであるということだ。

そしてエンツォ・チャルディはこの「顧客との対話」こそがチャルディの守ってきた最も大切な要素であり、そしてハウススタイルであることを究明したのである。

エンツォ・チャルディとの対話

そういうわけで、トランクショーにおいてのエンツォ・チャルディとの対話は非常に簡単だ。自分がどのようにうな服が欲しいか、そしてどれくらい彼らの伝統的なスタイルに共感しているかを伝えれば良いだけだからだ。

もちろん伝統的なものよりも肩幅を狭くしたければそう伝えれば良いし、ラペルの幅を調整したければそれも可能である。

サルトリアの洋服というのは不思議なもので、多少スタイルを調整していったところで、あくまでサルトリアで仕立てられたものであるということがすぐにわかる。職人の手癖というのはそういうものだ。

そうして仕立てられてきたのが当店のオーダーのサルトリア・チャルディである。私が非常にわがままな性格であるおかげで、エンツォ・チャルディはわがままな顧客に慣れている。そして数々の要望を経て、美しいジャケットやスーツ、コートがどんどん仕上がっていく。

ときどき「サルトリア・ピッチリーロの仕立てに比べると、チャルディの仕立ては人によって違うように見える」という意見をいただくことがある。これは大正解である。なぜならピッチリーロの仕立てが「ダヴィデ像的な黄金の造形美で人を固める洋服」であるのに対して、チャルディは「柔らかな伝統と歴史で人を包む洋服」だからである。

サルトリアが人生を変えることはないかもしれないが、しかしその人の人生のスタイルを変えるのは非常にありえる話だ。

伝統、歴史、知性、それから人に愛される人柄と好奇心、対話力、最後に柔軟さ。これがサルトリア・チャルディのまごうことなきハウススタイルである。