ナポリ仕立ては仕様でも縫い方でもなく、『空気』である

Sartoria Panicoのアトリエにて

こんにちは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。

暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。最近プロフェソーレ・ランバルディ静岡では、9月1日〜3日にかけてNicola Radano ニコラ・ラダーノ氏を招いて行われるSpacca Neapolis Tiesの準備が始まり、すっかり忙しい毎日を送っております。

しかし何よりもこのようにやりがいのある日々を送っていると、先月のナポリ出張を思い出すのです。灼熱の中、カメラや生地やサンプルのスーツをバッグにつめて、トレド通りやスパッカ・ナポリ通りを歩きSartoria Ciardi サルトリア・チャルディやCamiceria Piccirillo カミチェリア・ピッチリーロを何度も往復した日々です。

Spacca Napoliを、Sartoria Piccirilloに向かって

ナポリ、あのヨーロッパらしからぬ喧騒と混沌、そして対照的とも思えるほどの家族や友情の深さが、この日本の熱風と共に鮮烈に蘇ってくるのです。そして最近は同時に、こんなことを考えるのです。

ナポリ仕立ては、きっと服ではないのだ。

もっと言うのであれば、ナポリ仕立てはむしろ「空気」か何かなのではないか、とそんなことを考えております。

ナポリ仕立てはディテールではない

Webサイトもないカサルヌォーヴォのサルトリアにて

ナポリ仕立ての服を取り扱っていると、やはりお客様も大変にマニアックな方が多く、私などよりよほど詳しいお客様がたくさんいらっしゃいます。

ナポリのサルトリアのことも熟知されており、私は黙ってコーヒーを入れているだけで、お客様が自ずと服を見極めてくださるのですから、気が楽ではあります。

そもそも私は洋服屋ではありますが、ずいぶんざっくりと大きく服をとらえてるために、同業の方にはきっと「なんだあのヒゲ店主、てんで服のことなんか知りやしないじゃないか!小難しい言葉を並べて、シラー(注:ドイツの詩人)にでもなったつもりだぜ」と思われていることでしょう。

(残念ながら彼は間違っているのです。なぜなら私の心はむしろゲーテにあるのだから……。)

ところがそんなことは良いとして、ここには一つ是非とも注意すべき点があるのです。それは、ディテールを見すぎるとナポリ仕立ての全体像は見えてこないということ。

例えばナポリ仕立てとしてよく語られるものはこうです。副資材を使わないアンコンストラクテッドな仕立てに、雨降らし袖、高めのゴージラインにダブルステッチ。ダーツを裾まで取り、3つボタン段返りで襟は大きく裏返り、キッスボタンとバルカポケットで、サイドベンツ。

しかしこんなものは、誤解を恐れずに言うのであればナポリ仕立てでもなんでもないのです。

さらに命の危険を省みず(!)に白状してしまうのであれば、こういったものは私を含めセレクトショップが吹聴して回っていることなのです。私たち売り手からすれば、自分が扱っているものこそ正当なナポリ仕立てである、と信じてもらいたい。だからできる限り一般的にナポリ仕立てと言われているに近いものを売りますし、売るときには「これこそ本物」ということで売るのです。

ですが、これこそが問題なのです。

なぜならもしそれがナポリ仕立てなのであれば、そのディテールを踏みさえしていれば、中国でひと縫いして作ったジャケットさえも、ナポリ仕立てになってしまうのですから。

事実、簡単なイージーオーダーなんかでも「ナポリ仕立てモデル」なんていうものが生まれており、ディテールは完璧なまでに上記の通りですが、それは皆さんが思うところのナポリ仕立てではないのです。

ナポリ仕立ては空気である

アントニオ・パニコとレナート・チャルディ。チャルディの工房にて。

本当のナポリ仕立てには本当に色々なものがあります。私の好きなSartoria Piccirillo サルトリア・ピッチリーロのジャケットには副資材も、肩パットさえも入っています。また裾が広がるようなシルエットを作るため、今回は裾までダーツを取っていません。

Sartoria Ciardi サルトリア・チャルディには今回「レナートの雰囲気を感じられるスーツにしてくれ」という風にオーダーしましたが、これはゴージも少し低めで、肩パッドの入ったジャケットで出来上がってきました。

逆に30年以上前にナポリのランバルディ教授のオーダーで仕立てられた無名のマエストロ、ウーゴ・マルサのジャケットは、殆どアンコンストラクテッドで2つボタン、ダブルステッチにノーベントです。

友人のニコラ・ラダーノは、少し芯地が入って盛り上がった“ロリーノ”ショルダーのスーツをよく着ています。

またナポリでは肩を少しはみ出すような具合で、構築的なショルダーのジャケットを着ているサルトが少なくありませんでした。しかしそのうちの一人に聞くと、彼は「それが好み」なのだと簡単に答えました。

結局ディテールは注文する人が選ぶか、その職人が持つスタイルによって決めているものでしかないのです。確かに「ナポリ」という場所に生まれた独自の仕立てとして、頻繁に用いられるディテールはあります。ダブルステッチや雨降らしなどはその最たるものでしょう。

しかしそれはあくまで結果としてナポリ仕立ての表面に現れているものであって、根本ではないのです。

ではナポリ仕立ての根本は?

それは空気です。

あのナポリの喧騒と美しさの中で、サルトリア・ナポレターナの文化の中心にいる彼らが、それぞれのやり方で最高のスーツを作り上げようとしている。

それぞれが重なるか重ならないかというところで接しながらスーツを仕立てているが、彼らはサルトリア・ナポレターナとしてのほんの少しの連帯感と、スーツの最も大事な部分を左右する、ぼんやりと皆に共通した何かを持っています。

そしてそれこそ、ナポリ仕立ての空気なんです。

ありとあらゆるものが一個の全体を織り成している。ひとつひとつが互いに生きて働いている。
– ゲーテ『ファウスト』

その「空気」とはヴィンツェンツォ・アットリーニやコンバッテンテはもちろん、ナポリに存在する星の数ほどのサルト達が独自に服と向き合い、挑戦し、自然と共有されてきたことで「ナポリ仕立て」全体が培ってきた技術であり、経験であり、そしてプライドでもあるのです。

ナポリでどこのサルトリアに訪れても何となく感じるその空気を、着るだけで感じられる服。

それこそが、ナポリ仕立てなのではないでしょうか。

そして私がプロフェソーレ・ランバルディ静岡で皆さんにご紹介したいのもそんな – ディテールや仕様では語り得ない – 空気をまとったナポリ仕立てなのです。

※いやすみません、またゲーテになったつもりで書いているのです。彼はまたこうも書いております。「およそ哲学というものは、常識をわかりにくいことばで表現したものにすぎない」。まったく言い得て妙ですね。

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