鞄にまつわる小話

こんにちは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。

遥か昔、人間はふとしたことから「二本足で立とう!」という素晴らしいアイデアを思いつきました。

その何とも唐突な思いつきで、人間は脳を支えて発達させることに成功し、さらには歩くのに不要になった二本の足を「手」として解放したのです。

手を獲得した人間は、道具を作ることによって他の動物と違う道を歩み始めることになりました。

しかし道具を作るだけでは収まらない。

早速そこに装飾をしないことには、気が済まなかったのです。

紀元前1万年の日本では、人々がいかに美しい器を作って神様の「いいね!」を獲得するかを競い合っていました。

これは皆さんもご存知の縄文土器ですが、メソポタミアであの楔形文字が生まれたのが紀元前3500年であることを考えると、人間が道具に意味や、美しさをいかに早い段階で見出していたかに驚くでしょう。

そしてそれから1万2000年後。

私たちは未だに美しい道具を求め、より芸術的な造形を渇望し、それを使うことに無類の喜びを覚えているのです。

それは透き通ったサンルイのクリスタルグラスであり、鏡面のように輝くソナスファベールのスピーカーであり、ポルトローナフラウのソファであり、道具としての比重が恐ろしく低いフェラーリでもある…。

しかしそんな酔狂に生きる人でなくても、美しい道具を求めているものです。

それは、バッグです。

バッグというのは面白いもので、本来道具を持ち運ぶための道具であり、そこに大変な価値があるわけではありません。

しかし現代人にとっては鮮明な自己表現であり、ステータスであり、最も選ぶのが面白い道具の一つです。

バッグはその人の多くを表す

さて、なぜバッグがこれほどまでに重要な道具となったのでしょうか。

それはバッグがそれを持つ人の多くの部分を一挙に表すからです。

高価な商品には立派な外箱がつきますが、逆に立派な外箱がつけば(実際の品質は別として)中身が高価なものであることは想像ができるでしょう。

バッグの場合にはより複雑な印象をもたらします。

ナイロンの大きなビジネスバッグを見れば、多くの書類やノートパソコンが入っていて、その人が多忙なビジネスマンであることが感じられます。

ルイヴィトンのバッグであれば中にどのようなブランドの財布とキーケースが入っているかは何となく想像がつきますし、逆にナポリのトラモンターノのバッグであればその人が多少なりともイタリアに興味のある人だと感じます。

正解のない世界であり、1人1人が違う選択をするからこそ面白い。

また、その日の気分やシチュエーションによってもバッグは変わります。カジュアルとビジネスで同じバッグを持つ人よりも、使い分ける人の方が多いでしょう。

いつもきっちりとしたブリーフケースを持っている人がある日トートバッグを持っていたら、それだけでその人がいつもと違う気分や状況にあるというのがわかるのです。

エレガントな装いに似合い、かつ気張らないバッグ

さてこんな長い前置きをなぜしたかといえば、ずっとこれについて考えていたからです。

デニムにジャケットとシャツを着て出かける。

そこで特に仕事があるわけではないけれど、文庫本と13インチのノートパソコンを入れておいて、テラス席で向かいの椅子に置いておくようなバッグ。

これは意外と難しいもので、ブリーフケースではカタすぎるし、トートバッグでジャケットに似合うものはそこまで多くない。

そして何よりも多くの男性向けのバッグは、大きすぎるのです…。

例えば多くのブリーフケースが約40cmの横幅で作られているのはご存知でしょう。これはA4サイズの書類(を入れたクリアファイル)が入る大きさです。

しかしトートバッグなどカジュアル寄りの男性向けレザーバッグは43cm〜45cmと巨大なものが多いです。

するとノートパソコンと文庫本、財布にキーリングしか持ち歩かない人にとっては大きすぎてしまい、中身が少ないせいでバッグが貧相な感じになってしまいがちなのですね。

だからと言って小さいトートバッグ等はあまりにもレディースライクになりすぎる。

このように、メンズのスマートカジュアルに合うバッグ選びは難しいのです……。

こんなブログを書いているということは、と皆さんお気づきでしょう。

プロフェソーレ・ランバルディ静岡で、ついにバッグの取り扱いが始まります。

しかも日本では未展開、ローマの老舗工房が作るメンズのジャケット着こなしにぴったりなバッグです。

どうぞ、ご期待ください。

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