今に生きるというのは、私たちの人生において最も大切なことだ。
過ぎた日々は戻らない。田舎の家の縁側に転がって眺める山々も、ひんやりとした畳とふすまの音も、夕餉(ゆうげ)と混じるあの石油ストーブの香りですらも、再現することができない。例えば今石油ストーブをつけたところで、大好きだった祖父や祖母がマッチを擦ってつけてくれた石油ストーブの香りとは異なるのだから……。
しかしどうだろう、こうしてそのような情景を思い出しているときの感情というのは、実に愛おしいものである。聖書的に言うならば心の中で温かな泉が沸き起こるかのような感覚である。
今を生きるためには、時として私たちにはこのような温かみが必要なのである。
そして「黄金時代のコート」と名付けられたこのポロコートは、まさにナポレターノ達の心の拠り所である。熱狂と情熱、そして希望に満ち溢れた60年代への憧憬が、この1着に込められている。
《Età dell’oro》
Età dell’oro = エタ・デッローロは、Nicola Giordano ニコラ・ジョルダーノが生み出した、ノスタルジックなポロコートのモデルだ。
このサルトリアの仕立てはいつもクラシカルで、ナポリの郷土愛を感じさせるものだ。丸みを帯びた仕立てはランバルディ教授が愛用していたウーゴ・マッサ(それこそ60年代に最盛期を迎えた職人だ)のジャケットにも近い雰囲気がある。
しかし今回のポロコートはその中でもいっそう特別だ。
…あのナポリ黄金時代には、手縫いの早さを子供達が競い合っていた。サルトリアがひしめき合い、飛ぶように誂服の注文が入り、自分の仕立てた1着の服が上客の目に止まれば、信じられないような成功を収める可能性がいくらでもあった。
そのような時代に作られたポロコートは、実にアイコニックだった。
無限の手作業はもちろんのこと、少しアンニュイな表情を湛えたラペルのラインが、エレガンスの象徴だった。まさにこのNicola Giordano ニコラ・ジョルダーノのEtà dell’oro エタ・デッローロが持つ雰囲気がそれである。
これ見よがしな幅広ラペルでも、先の尖ったクジャクのように自己主張をするピークドラペルでもない。誰かの注目を集めるためではなく、自分自身の喜びのためのシェイプである。
ついでに言うなら、このラペルは私たち日本人にとって非常にありがたい。なぜならこのラペルデザインはコート自体を縦長に見せてくれるからだ。
冬のピッティで西洋人たちが着ているようなこれ見よがしなコートは、ラペルが大きく強調されている分、身長が低い人が着ると余計にずんぐりして見える。60年代のナポリ人たちは決して高身長でなかったのである。このラペルならば160cm台の身長でも美しくポロコートが着られる。
ラペル以外にもポロコートらしいディテールはいくらでもある。まずはフラップ付きのパッチポケットだ。生地にもよるが、Nicola Giordano ニコラ・ジョルダーノのポロコートは存在感を主張し過ぎず、あくまで前身頃との一体感を大切にしている。袖先のターンナップも同じだ。さりげなく、上品である。
ベルト部分が美しいのはどのポロコートも同じだ。しかし手縫いで作られるビスポークポロコートのベルト部分は、ある意味芸術の域である。やや多めに生地をとってギャザーを寄せているのが優雅だ。センターにはSpacco=スパッコと呼ばれるプリーツが入っている。
ベントの中はボタンホールが施されている。裏から見れば、ポロコート特有の背抜き仕立てが美しい。(このモデルなら、ダブルフェイスの生地も良いだろう。特にほのかな色の違いを楽しむような生地ならば最高にエレガントだ)
最後にビスポークのコートならではの横長な手縫いボタンホールも見ておこう。これだけでも、いざやろうと思えば気が遠くなるほど手間が掛かる。職人たちでさえピッツァを焼くようにすぐ仕上げることはできない。
永遠の外套
ノスタルジックなものは永遠である。なぜなら数十年経って懐かしさを覚えるものは、あと数十年経ったところで変わらず魅力的で、あの甘い陶酔を常にもたらしてくれるからである。
すなわちこのポロコートは一生物だ。一度作ればずっと着られるし、流行も自分のテイストの変化も恐れることはない。
Nicola Giordano ニコラ・ジョルダーノで、永遠のポロコートを仕立てよう。