“1951” 奇跡のビンテージ・シルクリネン

1951年、日本では終戦後サンフランシスコ講和条約が結ばれた。

その頃のイタリアにはひと足先に戦後の「復興」の光が差し込んでいた。ひと足早く終戦を迎えたイタリアは、46年には歴史的なサイクル・レースであるジロ・デ・イタリアも再開。同年に復活したイタリア・グランプリではマセラティの4CLが9勝し、歴史的な活躍を見せた。

イタリア「奇跡の経済復興期」と言われる1950年代が始まっていた。1951年のある日、ナポリにてすでに何十年も続く老舗の生地店が、イギリスから10数メートルの生地を仕入れた。

それから10年。ナポリ仕立ての黄金期が訪れた。熱狂的なサルトリアの時代に、数多くの名作生地がイギリスからナポリに流れ込んできた。

1951年に生地店が仕入れた生地も、飛ぶように売れて消えていった。だがなんの悪戯か、ある生地の最後の1.9mが棚の一番下に残った。

月日は流れる。生地がナポリに渡ってから72年経った2023年の1月、つまり今年始めのことだ。生地店の隣の店が空いたことがきっかけで、店舗の地下のストックヤードが改修されることになった。その影響で、棚の奥底に眠っていた生地達の一塊が店先に並ぶことになった。

3月のある晴れた日に、一人の日本人が生地店を訪れた。もうその店には6年以上も通っていて、そこのストックはあらかた知り尽くしていた。しかしその日は様子が違った。その日本人はすぐさま、1着分の生地を発見した。

1951。タグにそのように仕入れ日を鉛筆の走り書きされた、ビンテージのシルクリネン。そう、その店が72年前に仕入れて残ったあの1.9mの生地だった。

1951 Silk & Linen

さて、もちろんそれがこの生地である。

シルクリネンという生地は、今では様々なメーカーからラインナップされている。なぜならその組み合わせは信じられないほどに優雅で、表情に富み、そして季節を楽しむ日本人の感性には染み込むような美しさだからだ。

だが72年前といえば、また話が変わる。いくら美しいスーツ生地が織られていた1950年代とはいえ、さすがに美しいジャケット生地というのはほとんど存在しなかった。

奇跡のビンテージ・シルクリネンという大袈裟な触れ書きが、今回ばかりは少しも誇張に感じられない理由がここにある。

現行のピアチェンツァのバンチをめくっても、これほどに艶やかな光沢を持つ春夏生地はそう見つからない。大昔のシルクの貴族的な光沢。古い織機が生み出すネップと細いヘリンボーンの抑揚。そして何よりも、サマーカシミアのように滑らかな手触りは、もはやビンテージであることを忘れさせるほどだ。

ここには一つのトリックがある。

1950年代に「イギリスで」織られたこの生地の素材は、シルクが上質なのは勿論のことだが、リネンについては突き抜けたクオリティである。そして織られた場所と時代を考えると、これは明らかにあの「失われたアイルランド産リネン」なのだ。

思えばこの美しいベージュもまた、あのビンテージアイリッシュリネンの存在を確かに感じさせる。この宝石のような光沢も、もしかするとシルクだけの仕事ではないのかもしれない。

現在ビンテージ・アイリッシュリネンというものはビスポーク愛好家達が血眼になって探しているし、私も毎回イタリアではそれを探して1日何万歩も歩いている。

しかしこの生地を仕入れたあの3月の晴れた日、私はバルのテラス席でカンパリトニックを飲んでいた。いつもなら休みなくビンテージ生地を探し求めているだけに、この日の夕方は特別だった。

電話が鳴った。「Ciao amico mio. なに、ビンテージ・アイリッシュリネン? 今日は他の連中にくれてやるよ、こっちには奇跡のようなシルクリネンがあるからね」

1951。奇跡のビンテージ・シルクリネン。

歴史というのは点ではなく一本の線である。1951年にナポリに飛び込んでから、忘却の彼方にあったこの生地は72年経った今、稀有な運命を辿って日本にある。

そしてこの生地はついに1着のジャケットとなり、誰かのワードローブで新たな歴史を刻んでいく。だがその歴史はあの1951年から限りなく長い線で、ずっと繋がっているのである。

1951 Vintage Silk & Linen

Sartoria Ciardi JK トランクショー 仮縫い付き ビスポーク ¥613,800 売り切れ

東京(渋谷オフィス)もしくは静岡にて採寸、仮縫い。

※Sartoria Ciardiは半金でのオーダーが可能です。希少な生地のため生地のみのお取り置きはできませんが、ご了承くださいませ。

お問い合わせはコンタクトフォームから。