2%の追及 by Sartoria Ciardi

現代の多くの物事について言えることは、80%を実現することが非常に容易になったということである。

例えば美しい写真を撮るにしても、SNSにアップロードするクオリティであればiPhoneで十分である。むしろ万人がいつでも手軽に使うことが出来るという意味では、iPhoneは古典的な一眼カメラを凌駕していると言える。

「美しい写真」の80%はiPhoneで十分に実現できてしまうのである。

とはいえiPhoneで撮った写真は、やはり一眼カメラ熟練者の写真に敵わない。ハイレベルな機材を使って手慣れた人が撮る写真は、「美しい写真」の98%を実現するからだ。

しかし写真の世界はまだ終わらない。

例えばラグジュアリーブランドの広告写真撮影を見てみよう。

完璧なスタジオ環境で映り込む光を制御し、商品が最も際立つライティングを行う。用意されたプロフェッショナルなモデルにはその道一筋のスタイリストとメイクスタッフが付き、カメラマンは完璧な一枚の写真のために数千回シャッターを押すのである。

つまり最後の2%を突き詰めて、完璧な写真を撮るには莫大な費用と手間がかかるのだ。

さて、洋服である。

既成服でスーツの美しさの80%を実現するのは、それほど難しくない。訓練を受けたスタッフとレーザー裁断機、進歩したミシンによって生み出されるジャケットは、ぱっと見では十分なクオリティを誇る。

しかしそれを人の体に合わせて美しいフィッティングにしようとすると、職人が必要だ。

与えられた数値を元に、手作業で服地をカットしていく。伝統的なテーラーリングの世界で生きてきた職人たちと縫い手たちが協力して、立体的なシルエットを作り上げるのである。

このようにして作られたジャケットやスーツは殆ど完璧である。着ても美しく、一見してオーダーメイドであることがわかる。

だが洋服の世界には、まだ2%が残っている。そこを突き詰めて完璧な服を作れるのは、仕立て屋だけである。それも古典的なビスポークテーラーだけだ。

人間の身体は360°の複雑な立体である。左右対称に見えて身体は非対称だ。どちらかの肩が上がっていたり、腕が長かったり、骨格が盛り上がっていたりする。

それらは数値だけでは表現できない。「右の肩甲骨が出ている」「左肩の筋肉が発達している」という実に感覚的な言葉によってフィッターが職人に立体を伝え、アイロンワークや型紙補正で服を身体に合わせていく。

この2%の作業を行うのに必要なのが、仮縫いや中縫いである。

Sartoria Ciardi サルトリア・チャルディのジャケットを見てみよう。

これが何着目かもうわからないほど、このお客様はオーダーを重ねている。しかし仮縫いが必要だ。

それは生地や手作業の具合によって僅かに、フィッティングが変わるからである。例えば今回このお客様はこのジャケットと、ヘビーウェイトリネンのスーツを同時に仮縫いしている。

そのフィット感はずいぶん異なり、補正内容も違う。柔らかい生地であれば問題なく馴染む肩周りも、リネンでは多少補正が必要だったりする。

また硬いリネンでは少し余裕を持ったフィッティングにすることで、着心地をよくすることもある。 何着目であってんも基本的に仮縫いが必要なのはこういう部分に起因している。

それにしても美しい。

このSartoria Ciardiのジャケットは、仮縫い(一般的な中縫いに近い進行状況)状態であるにもかかわらず、ため息が出るほど美しい。

肩周りは芸術的な立体を描き、ジャケット単体で眺めても着る人の肩がその奥に見えそうな雰囲気だ。

Sartoria Ciardiのカッティングは非常に洗練されている。無駄のないライン、美しいカーブ、それからシャープな縫い目の仕上がりにはマエストロの迷いなさ、強い意思を感じる。

ステッチを眺めているだけでも、優雅な時間だ。細かく丁寧なステッチがラペルや前身頃のキワを走る様子は、1960年代…つまり黄金期のナポリ仕立てのようである。

仮縫い付きのビスポークは本当に贅沢だ。それがオンラインであっても、全く問題はない。

先ほども書いたように、大事なのは視覚的な情報と、「感覚的な言葉」である。職人は写真や動画から補正の内容をしっかりと読み取れるし、見てわからない部分は私のようなフィッターが言葉で伝えることができる。

ぜひ仮縫い付きビスポークを体験しよう。

どのようにして「最後の2%」を職人が追及していくのか、それを自分自身で体験できるのは、ビスポークだけなのだから。