前回の「ジャンニ・ピッチリーロ的な愉悦①」に続く第二弾の前に、小休止としてちょっとしたコラムを挟もう。これは長いオペラの幕間に、寒い中リモンチェロやエスプレッソを飲みながら話すような取り止めのない話である。
当店で扱っているサルトリアは、もう何年も変わらずたったの3つである。ニコラ・ジョルダーノ、サルトリア・チャルディ、そしてこのサルトリア・ピッチリーロだ。
これほどまでに長い間にわたって「取り扱いブランドが変わらないセレクトショップ」と考えれば珍しいが、彼らが私の親愛なる友人たちであり、これが「友人関係」と考えれば別に長い付き合いというほどでもない。まだまだこれからである。
その中でお客様によく聞かれるのが、この3つのサルトリアの違いである。今日はサルトリア・ピッチリーロの立ち位置を明確にすることで、その質問に答えていこう。
サルトリア・ピッチリーロの美点
別に3つのサルトリアの中に限ったことではないが、サルトリア・ピッチリーロが他と最も大きく異なるのは、ジャンニが叩き上げのマエストロであり、実質的な一人親方であることだ。そしてこれは大きな美点である。
ジャンニ・ピッチリーロは子供の頃にサルト(仕立て職人)の道を選んだ。しかしそれはある意味突然とも言える選択だった。彼は親や親戚のあとを継ぐ訳でもなく、この仕事に惚れ込んで職人になったのだから。
だから彼は圧倒的にマエストロとしてのキャリアが長い。すでに30年以上にわたって、サルトリア・ピッチリーロの親方としてスーツを納め続けている。
「昔々、私が25、26くらいのときのこと。店に新規のお客がやってきた。彼は工房をぐるりと見渡すと、そのとき私の横で飾りステッチを縫っていた助っ人の老職人に向かって“マエストロ”と話しかけた。助っ人の彼は気まずい顔をして、左手で黙って私の方を指差したよ。お客も真っ青になっていたさ。それくらいに、若いマエストロというのは珍しかったんだ」
ジャンニについてのエピソードは語りきれないほどあるが、私のお気に入りはこれだ。彼がいかに稀有の存在であり続けていたかいっぺんに物語ってくれる。
そしてこの長いキャリアが彼に唯一無二の腕を与えたと言えるだろう。さらに彼は自分が偉大なマエストロとして認められるようになってからも、あくまで職人であることを望んでいる。彼は有名なファッション雑誌のインタビューを受けるよりも、華やかなパーティで雄弁を振るうよりも、作業台で服を仕立てることを選んでいる。なぜなら仕事を愛しているからである。
驚くほどの経験値と職人であり続けるという意志を持つジャンニ・ピッチリーロが、今なお殆ど一人で仕立て上げるビスポークの洋服。それはさながら天才ミケランジェロが一人で描いてくれる肖像画のようなものだ。それにどれほどの価値があるかは、くどくど語る必要もないだろう。
非常に明快で、そして力強く
サルトリア・ピッチリーロの服は力強い。アイロンワークと迷いのないカッティングで描かれたダイナミックな曲線で、どこを見ても立体感に富んでいる。
例えば肩を少し斜め上から見れば、肩線が後ろに向かって逃げていることがわかる。これは前肩のフォルムを作る上で、このような仕立てになる。胸囲の立体感は薄手のサマーウール生地であることを考慮すると、特筆すべきものだ。中庸ながらも堂々としたラペルと相まって非常に美しい。
このジャケットは当店のお客様のオーダーで、通常よりもさらに軽快に仕立てた一着だ。マニカ・カミーチャ(雨降らし袖)もいつもより大胆だが、それが春夏生地によく馴染んでいる。
通常のオーダーではもう少し控えめのギャザーとなるが、これはこれで良い雰囲気だ。
前身頃のラインは非常に男性的だ。極端にカーブさせすぎることもなく三日月型に誇張することもない、絶妙なフロントカットである。このトラディショナルな雰囲気は往年のアットリーニとかキートンを思わせる部分がある。ナポリ的でありながら決して野暮ったくなく、あくまでクラシックな佇まいを目指したあの時代のシルエットだ。
下町のマエストロ
そういうわけでこれが、サルトリア・ピッチリーロについての考察だ。
彼は今でも開業当時と同じ場所に小さなサルトリアを構える。それは80年代までマフィアばかりが住んでいた、かの有名なフォルチェッラという下町だ。喧騒と混沌。今なおカオティックな世界観がトグロを巻いている。
だがそんな中にあるこのサルトリアに、多くの人が訪れる。地元の名士や公証人、それに医師や経営者。その信頼は厚く、サルトリアは常に繁盛している。
だからこそ彼は、その小さな工房には似つかわしくないような極上の生地を隠し持っている。こうしてこのブログは、ジャンニ・ピッチリーロ的な愉悦②へと続いていくのである……。
To be continued.