こんにちは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。
最近はお納めのブログがなかなか更新できず申し訳ございません。
今年は2月だけでも10着以上お納めしており、お披露目したいスーツやジャケットが沢山なのですが……コーヒー豆が切れて…..いや見苦しい言い訳はやめましょう。
今日は中でも「カッティング」で目を引くジャケットをご紹介しましょう。
スタンドイーブン社 Super150’s+カシミアの極上生地を使用した、サルトリア・ピッチリーロのジャケット。本来はスーツでオーダー頂いたものなのですが、先にトラウザーをお納めしておりましたのでジャケット単体にて。
もし人類が言葉や文字を発明せずに21世紀まで来ていたとしても、この芸術的なカッティングの美しさは写真だけで十分にお伝えできたはずです。
美しいでしょう!
サルトリア・ピッチリーロのジャンニはマエストロでありながら、それ以上に職人です。彼は常に自分自身の手でスーツやジャケットを作り上げることに価値を見出しています。
大抵の有名サルトリアでは、マエストロというとカッティングや仮縫い中縫いだけを自分で行い、それ以外は職人たちが手がけるもの。それに比べジャンニは、ほとんどの工程を自分でこなしてしまうし、そうでないと納得がいかないのです。
私はいつもジャンニ・ピッチリーロの仕立てを紹介するとき、このように書いていました。
しかし一つ見落としていたことがあったのです。
それは他ならぬジャンニ・ピッチリーロのマエストロとしての奇才です。
彼の仕立てる服の最大の魅力は殆どミシンを使わず、手縫いで地道に作り上げていることである….これは間違いではありませんが、しかし彼は他のマエストロたちも一眼置くような芸術的な感性を持っているのです。
ジャケットはある意味、まっさらなキャンバスの上に直線と曲線で描きあげる絵画のようなものです。
形が決まっているとはいえ、ゴージのラインも位置も自由です。胸ポケットの位置も大きさも角度も、そのカーブの具合もマエストロが決めなければなりません。
それを踏まえたうえでジャンニ・ピッチリーロの仕立てたこのジャケットを見てみましょう。
いたるところに平行線があり、曲線が美しくそこに重なっていく。どのラインも見事に調和しており、シルエットをスポイル(邪魔)する要素が一つも存在しません。
ポケットの大きさ、バルカの角度、そしてダブルステッチの幅に至るまで全てが絶妙なのです。
もちろんそこから前身頃の各部へ視点を広げても、やはりバランスが秀逸です。
立体的なラペルのかえり、力強い胸囲の立体感と上品なフロントカーブ、そして対照的に一直線に伸びるフロントダーツ。
最後にもう一度全体を見渡してみましょう。
ある意味凡庸とも思える形状のポケットが、ここにきて俄然存在感を増すことでしょう。
パッチポケットそのものが主張せずとも、胸囲の立体感とウエストの絞り、そしてフロントダーツによる裾まで丸みを帯びたシェイプが、明らかにそれを際立たせるからです。
このような美しさのバランスは(私の意味不明な言葉によると)
「感覚的な計算」
によって生み出されるものです。
要するに、1cmや5mmという単位で全てを計算するわけではないが、感覚的にその数値が導き出されており、描いたものが美しく際どいバランスの頂点に立つということです。
感覚的な計算
これはサルトだけでなく、ありとあらゆるクリエイターたちに存在するものです。
例えば当店の看板ですが、左が実際のもの。右がPhotoshopで加工したものです。
明らかに左のほうが美しいでしょう。内容は同じであるにも関わらず右の看板は美しいとは言えません。それはロゴと文字のサイズが大きすぎて、余白が足りないからです。
これはわかりやすい例ですが、もっと微細なことでも本質的には同じです。どこにどのようなサイズで、どのようなものを配置するのが美しいか。これを無意識に把握できる=感覚的に計算できるのが、優れたクリエイターの才能です。
見る人が「なぜかわからないけど、美しい!」と思うものは大抵、優秀なクリエイターによって感覚的に計算されています。
それに対し見ていて「なんだかなあ」と思うものは計算されていないか、もしくは携わる人や聞かなければいけない意見が多すぎるのです。
余談ですが日本の車で優れたデザインが少ないのは、最初に市場調査を行い消費者の意見から車を作り上げるからです。色々な機能や要望が盛り込まれていく過程で、「感覚的な計算」どころではなくなっていきます。
対してフェラーリのようなイタリア車が美しい(美しかった)のは、一人のデザイナーが主導権を持ってデザインを決めるから。優れたデザイナーが感覚的な計算で生み出した「美」が、損なわれることなく市販化されるのです。
最近のフェラーリが美しくないとされているのは?空力デザインがその「美」をスポイルしているからです。
さて、話をジャンニ・ピッチリーロに戻しましょう。
感覚的な計算に基づいて仕立てられる彼の服は、非常に美しい。そして今回の余談を踏まえて言うのであれば、彼のサルトリアにはこの美しさを邪魔する要素がないのです。
サルトリア・ピッチリーロの仕立てる服はある意味、大昔のフェラーリのようなものです。
一人の素晴らしいデザイナーが感覚的に生み出した最高の美を、ほんの数人のチームによって実現する。
マエストロ・ジャンニの描いたシルエットは、コストダウンや効率化でスポイルされることも、技術的に未熟な職人によって遮られることもないのです。
ナポリの下町、タバコ屋よりも小さな工房で。只々ジャンニ・ピッチリーロの思い描く美しさを、1930年代からろくに変化のない古典的な手法で作り上げている。
なんてロマンのある話でしょうか…!