こんにちは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。今日は珍しく真面目な顔をしてコラムを執筆しようとしています。題して、Imperfezione 不完全さの美とは。

この素晴らしい屁理屈じみた論証を以って、ナポリのスーツが持つ美しさの秘密を解明しようというのが私の魂胆ですな。

ナポリのスーツは完璧ではない、とよく言われます。しかし完璧でないにも関わらず、それは完璧なものよりも美しく感じられる。その秘密について、今回は探求していくのです。

不完全さ、この魅力を理解するとどんなメリットがあるのかって?

私の店にビンテージ生地や絵画の入った額縁が散乱しているのを指摘されたときに、「これが不完全さの美です」と言い訳ができるのです。(ああ、時がさらなる生地と絵画を店に与えんことを…)

Imperfezione 不完全さの系譜

人間が初めて不完全さの魅力に気がついたのはいつか。なんて大げさな書き出しをしてみましょう。

ヨーロッパの文化は歴史上、あるときまで完璧を目指してきました。ギリシアでは完璧な肉体美が求められ、ローマでは完璧な建築が目標とされました。中世では一度停滞した文化は12世紀ルネサンスを経て、フィレンツェで開花。

絵画についてみてみましょう。

ルネサンス絵画では今まで平面的であった絵画がより人間的、立体的になり絵はリアリティを増していく。ルネサンスが1600年頃に停滞を見せると、絵画の中心はフランスどんどん写実的に進歩して行きます。

この一連の流れではあくまで「理想美」を追求することが正義とされました。それはすでにリアリティを越して、人間世界を描くのではなく神話上の美を再現するという意味です。

そしてヨーロッパ文化が求め続けた「完璧な美しさ」は、新古典主義の時代にアングルやジェラールらによって完成します。

しかし彼らがその完璧さを追求する一方、ある方面ではそれとは異なる流れが生まれてくるのです。

それが不完全さの美を追求する動きなのですね。

不完全さとはテーマが人間の醜い部分であったり、あるいは描写の仕方であったり、筆使いであったりと実に様々です。

しかしその中で最も端的に不完全さの魅力を教えてくれるのが、最初に掲載した絵なのです。

カラヴァッジョの「果物籠」。ルネサンスの終焉と息継ぎをするように描かれた16世紀末のバロック絵画です。

これはまるで、いつもは何の気もなしに放ってある果物籠の美しさにふと気がつく瞬間を捉えたような絵です。現代人から見れば何ともない絵ですが、その時代の人々にすれば衝撃的な絵だったと言えるでしょう。

なぜならこの果物籠は不完全だからです。

葉っぱは所々枯れて居て、カゴは重さで歪み、りんごには虫食いがある。

これまでの静物画はもっと神聖で、メッセージ性のあるものが殆どでした。しかりカラヴァッジョはただその不完全な姿を、くっきりと写実的に描いたのです。

これが「不完全の美」というものなのです。

この後、完璧な美しさを追求する流れとは別に、それを否定し不完全の美しさを目指す者たちが現れるようになりました。

それは全ての建築を曲線に変えたバロック建築の巨匠ベルニーニであり、ヴィーナスだけに許された裸体を庶民で描いたエドゥアール・マネとも言えるでしょう。

ナポリ仕立てに息づく二つの「不完全の美」とは

J.R.R.トールキンの書く本のように長い前置きは終わりにして、洋服の話をすることにしましょう。

ナポリ仕立てのスーツには二種類の不完全の美が存在しています。

一つは完璧ではない身体のラインをそのまま再現することで生まれるものです。

もともとスーツは完璧ではない身体を美しく、完璧に近く見せるために作られた服でした。先ほどの話で言えばギリシア的な完璧な身体を服で再現しようという、大変怠惰な発想で生まれたものなのです。

未だこの理念でスーツを仕立て続けているのが、サヴィル・ロウのスーツです。

それに対してナポリ仕立てはより、着る人の身体をそのまま美しく見せようというものです。

肩パッドが薄いということは、肩を立派に見せるという意識が薄いのです。またアームホールが小さいということは、腕を太くたくましく見せるよりも着心地を優先したということです。

身体を自然に包み込むナポリ仕立ては、その人の体型の良い部分も欠点となる部分もそのままにしつつ、それを全てひっくるめて魅力にしてしまう。

これが一つ目の不完全の美なのです。

もう一つは、職人仕事によるImperfezione 不完全さです。

サルトリア・チャルディのエンツォはよく、この不完全さについてを話しています。

つまり機械製造ではなく人間が手で作るものには、多少の不完全さがある。

ステッチの歪み、ボタンホールの個体差、フィッティングのわずかな違い…。同じ職人が同じ顧客に2着目のジャケットを仕立てると、1着目とは似ても似つかないということも少なくありません。

しかしその不完全さは職人が仕立てたことの証明です。それは柔らかさ、味、雰囲気という目に見えない形となって「完全」よりも美しい「不完全」を作り出すのです。

これが二つ目の不完全の美です。

ちなみに不完全さの美は他にも、生地にも存在しています。織り感やネップのある生地、色むらのようなメランジ感のある生地。こういうものが好きな人は、完全なものよりも不完全なものを好む人ですね。

なぜ不完全に惹かれるのか

Camiceria Piccirillo カミチェリア・ピッチリーロのシャツ

しかしなぜ私たちはこれほどまでに不完全に惹かれるのか。

特にイタリア製のものというのは往往にして、「不完全さの魅力」としか説明できない何とも不合理な魅力を持つことが多いです。

一つには私たち人間が不完全な存在であるから、ということがあるでしょう。

ギリシャ神話も旧約聖書も完璧でない神々や人々の物語なのです。

そしてもう一つはこの時代性ではないでしょうか。

ありとあらゆる文化が、成熟しきった時代。全てがデジタルで管理できて、機械によって完璧且つ大量に作ることができてしまう時代。そして完璧に複製された様々なものが大量に飽和した時代。

そんな時代にあって「不完全さ」は、人間の手が通った跡を感じさせてくれるのです。

あれほどまでの写実性と完全美を手に入れたフランスの新古典主義絵画はたった一つの発明によって廃れてしまったと言います。

それはカメラです。

カメラによって完璧なリアル=写真が実現されたとき、パリの人々が求めたのは写実性ではなく個性と人間の手を感じる印象派の絵画だったのです。

完全無欠なスーツが大量生産でき、アプリケーションで完璧な採寸ができるようになるまであと一歩。

しかしそれが実現されたとき、文化を愛する人はもっと強く、ナポリ仕立ての不完全さを求めるようになるでしょう。

そしてこの店のような不完全な店が、ある意味「落選展」のように多くの人々の心を惹きつける日が、来たりしたらいいなあと、私は密かに願っているのです…。

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