我々のような胡散臭い洋服屋が生地を語るとき、最もよく用いる言葉の一つが「光沢」だ。素晴らしい生地の条件として(例外はあるにせよ)光沢を無視することはできない。
しかし厳密に言えば、光沢にも色々な種類がある。そして今日これから語ろうとしているものについて言えば、“光沢”というよりはむしろ“輝き”というべきものを湛えた生地である。
そう、ヴィンテージ・モヘアだ。
……宝石を集めるようなものだ。ヴィンテージ・モヘアというものは、もはやスーツやジャケットというような洋服のジャンルを飛び越え、それそのものが人々を魅了し、熱狂的にしてしまうのである。
60年代以降、人々はモヘアのスーツに取り憑かれていた。ショーン・コネリーも007の劇中でモヘアのスーツを着ていたし、誰もが憧れて然るべきものだった。90年代になると、既成服が台頭した。そして人々はすっかりモヘアのことを忘れていた。
しかし2000年以降ビスポークの洋服が再解釈され、新たな文化として定着していく中、彼らは自分達が何か大切なものを忘れているような気がしたのである。
そうして発掘されたのが名作と言われるドーメルのSUPER BRIOや、TONIK、ScabalのMONTEGO BAYといった有名なヴィンテージ・モヘアだったのだ。それから数年とたたず、こういった「役物」の生地達はあっという間に買い漁られ、珍妙な柄を除いて全て消費されてしまった……。
さて、ここまでが誰もが知るヴィンテージ・モヘアの物語である。しかし今回ここに書こうとしているのは La Storia Non Raccontata(=知られざる物語)である。
ヴィンテージ・モヘアの真髄は、もっと深い部分にある。
知られざるヴィンテージ・モヘア
生地を他のものに喩えるのは洋服屋の常套手段だが、ヴィンテージ・モヘアを喩えるならば議論の余地はない。
ワインである。
素晴らしいレストランで、感動的に美味しいワインに出会ったとしよう。後日それと全く同じラベルのワインを買って家で開けたとして、その感動を再現できる可能性は100%ではない。もっと言えば、同じ年の物を買ったとしても、全く同じ味がするかは開けてみないとわからないのである。
ヴィンテージ・モヘアにも同じことが言える。同じタグがついていても同じヴィンテージ・モヘアは存在しない。
その理由は多々ある。まず織り方や時代によってモヘアの輝きが全く異なること。同じく柔らかさが異なること。生地の杢目が異なること。時代やメーカーによって独自の色合いを持っていること。
さらにはそれらが無限の組み合わせを作り出しているのである。色が良くても杢目が好みと異なることもある。逆に素晴らしいクオリティで柔らかく輝かしいモヘアなのに、色味が好みでないこともある。
つまり息を呑むような美しいモヘアや、自分の好みに合うモヘアは、ある意味「神の思し召し」というべきものなのだ。
一度逃せば、2度と出会うことはできない。
ヴィンテージ・モヘアには生地の数だけ「知られざるストーリー」がある。それは生地ブランドや銘柄だけを見ても到底わかるものではないし、出会わなければ知ることのできないストーリーである。
Le Quattro Storie
ということで、今回は4つのヴィンテージ・モヘア生地を紹介しよう。もちろん店には大量のヴィンテージ・モヘアがあるが、全てを紹介しようとすれば来年まで掛かってしまうから。
【売り切れ】①John Foster Brown Magic
その昔、ドーメルがマジックという生地を発売した。それはまだ多くの生地が分厚かった頃、ドーメルが春夏に着られるようにと開発した画期的なスーツ地であった。
重さは260g/m〜280g/mと当時としては軽く、さらに強撚糸で織られているためにシワに強く、仕立てたときのシルエットも生地の軽さからは想像できないほど美しかった。
これがまさにそれである。この生地は英国の老舗John Fosterが織った物で、それがマジックを真似たものなのか、マジックに自社タグをつけたものかは不明だ。しかし生地そのものは…….全く同じだ。
特徴的なネイルヘッドの生地感は、60年代の情熱そのまま伝わってくるかのように生き生きしている。
美しいブラウンの色合いは、ベージュと黒の糸によって生み出されるものだ。光によって変化し、角度で表情を変える。かと言ってソラーロのように極端ではなく、あくまで自然な変化だ。
これでクラシックなスーツを作ったら、どれほど美しいことだろう。しかしスーツを着る機会が少ないのなら、ジャケットとトラウザーの単体使用を考えてパッチポケットで仕立てても良い。
グレー系のフレスコ生地のトラウザーと合わせても良い。私ならコットンリネンの白シャツとデニムだ。それが実にナポリらしいから。
【売り切れ】②Scabal Sorrento Bay
実に愉快なことだ。あの有名なScabalのモヘア生地 MONTEGO BAYに非常に良く似た質感で、名前まで似ているにも関わらず、このSORRENTO BAYという生地はまるで存在しない物のような扱いなのである。
事実インターネットで検索しても情報は皆無だし、もしかすると古い馴染みの老テーラーに聞けばわかるかもしれない、というレベルである。
Ma come mai devo cercare? (だが、どうして調べる必要などあるのだ?)
なぜならこの生地は手元にあるのだ。これが今まで見てきた数々のSUPER BRIO、MONTEGO BAY系のモヘア生地の中で最も美しい生地の一つであることは、すぐに分かる。
というのもこのしなやかさだ。まるで手の上で跳ねるかのようなハリの強さだが、生地感はしなやかで硬いという印象からは程遠い。
さらには全体を覆う光沢感だ。光が当たると磨き上げられたクラシックカーのように輝くのは、往年の素晴らしい原料を使って、旧式の織り機で作られた証拠だ。
そしてこの色合いである。グレー、というにはあまりにも惜しい絶妙な色。わずかにブラウンがかった上品なグレーがモヘアの光沢、杢目と相まって非常に奥行きのある雰囲気を醸している。
普段のグレースーツの代わりに着ることができる気軽さと、極めてエレガントな洒脱さを兼ね備えた色だ。(自分なら濃い茶色の艶やかな水牛ボタンを選ぶだろう。裏地をブラウン系にしても良いかもしれない。)
③Scabal Vintage Blue
さて同じくスキャバルだが、こちらはかの有名な(そして今では大変希少な)Montego Bay。ドーメルのSUPER BRIOと並び、ストライプならばいざ知らず、無地はもうほとんど残っていないはず、という程に人気を博した生地だ。
しかし私がこの生地を仕入れたのはそれ以上に、この色と杢目である。
なんと美しいブルーグレーだろう。彩度の高いブルーはお洒落な印象があるかもしれないが、彩度が低いブルーには色気がある。ワインレッドやゴールドといった色との相性が良いし、エレガントな時計やアクセサリーをこの上なく引き立ててくれる。
靴やバッグの色で印象を変えることができるのも良い。黒を合わせればぐっと引き締まってビジネスでも使える着こなしになるし、赤茶と合わせればカジュアルで色っぽい雰囲気にまとめることができる。
そしてこの杢目の美しさだ。
先ほどのSORRENTO BAYに比べるとややはっきりとした杢目が、この色合いをさらに引き立てている。時より混じる太く煌びやかな糸のおかげで素晴らしい奥行き感がある。
MONTEGO BAYのタグがついていなかったとしても、私はきっとこの生地を仕入れていたことだろう。
【売り切れ】④FINTEX of LONDON NAVY
まったく、なんて長いブログだろう。書いている自分が呆れるほどである。だが幸いにも、最後のヴィンテージ・モヘアには長い説明が不要だ。
なぜならこれは世界最高峰の生地と言われるFINTEX フィンテックスの生地で、最高にエレガントなネイビーで、極上のしなやかさを持つウールモヘアだからである。
(極上コンディションのビンテージ・ロールスロイスを買うようなものだ。ネイビーのモヘアスーツが欲しければ悩む必要はない)
……ということで、やっとのことでキャンペーンである。
《知られざるヴィンテージ・モヘア》
①John Foster Brown Magic 売り切れ
②Scabal Sorrento Bay 売り切れ
③Scabal Vintage Blue
④FINTEX of LONDON NAVY 売り切れ
全て1着ずつのみ、価格は同一。
※Sartoria Piccirillo、Sartoria Ciardiは応相談。
(恐ろしく貴重なヴィンテージだというのに、私は何をやっているのだろう。どうしてこんなに安いのだろう)
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