Sartoria Ciardiの贈り物

ナポリのサルトリアで秘蔵の生地を出してもらうには、いくばくかのコツがいる。あるいは不文律と言っても良いだろう。

まずは重厚な木製のドアに怯まず、チャイムを鳴らすことだ。このご時世だからナポリ式の握手とハグで迎えいれてくれないかもしれないが、歓迎の笑顔は変わらないだずだ。

ビスポークのジャケットを着ていくことは、最低限の条件だ。鶏が先か卵が先か、という実に興味深い言葉があるが、素晴らしいビスポークジャケットを仕立てるためには、ビスポークのジャケットが必要なのである。

もっとも、どんなに良いビスポークのジャケットを着て行っても、その職人は「どこの仕立てだい?」と聞くやいなや、すぐに話を変えるだろう。ナポリのサルトは皆自分が一番だと思っており、他所の仕立てについて多くは語らない。

エスプレッソを飲むかと聞かれたら、その日10杯目のエスプレッソにうんざりしていても断るべきではない。友好の証だからだ。

ここまでそつなくこなすことが出来れば、とっておきの生地まではもう少しだ。

サルトは「どんな生地にする?」と聞いてくるだろう。そこで「珍しいものを」等と言うのは安直すぎる。

素晴らしい秘蔵の生地が欲しいときにはスーツかジャケットかを伝え、好きな色を伝えて最後に「このサルトリアらしいものを」とそっと付け加える。これで上出来だ。

彼らは「この生地こそ我々にふさわしい…」と極上のストック生地を、それも幻の宝物のようなHolland & Sherryのビンテージをガラスのキャビネットから持ち出してくるはずだ。

ちょうどこの2つの生地のような……。

Regali da Sartoria Ciardi

ホーランド&シェリーのビンテージ生地を探す旅に出る、という人がいたら私は恐らく反対することだろう。

なぜならそれは蓬莱の玉の枝を探すようなものである。ギリシャ神話的に言うなれば、アルゴー船で危険な旅に出るようなものだ。(英雄イアーソーンの悲劇的な結末を知っていたら、きっと思いとどまることだろう)

いずれにしろこの“黄金の羊毛”を探すのはあまりに無謀だ。特に美しい無地となれば、それは不可能に等しい。

ところがサルトリア・チャルディである。

ナポリ中の偏屈な仕立て職人達が偉大な職人と認めたレナート・チャルディが手に入れて、それからずっと大事に保管されていた秘蔵の生地の中には無いはずの逸品さえ混じっている。

Holland & Sherry Super 180’s(売約済み)

まずこちらから紹介しよう。Holland & Sherryのビンテージウーステッドである。

これは現代の生地メーカー達がニヤけ顔で電卓を叩きながら作る、ロシア人向けの高番手生地ではない。堅苦しくGood Afternoonと挨拶する生粋の英国人たちが、自分たちの限界を試すために作った生地だ。

それこそ滑り落ちるほどに滑らかだが、ずっしりと重く腰が強い。これは誰がどう見ても、様子がおかしい。

その仕立て映えする目付けの良さは英国のクラシックな生地だ。しかし手触りと光沢はまるでビキューナ混の浮ついたイタリア生地だ。つまりどういうことかといえば、これは存在するはずのない蓬莱の玉の枝なのである。

タグを参考にするのであれば、この生地をレナート・チャルディが買ったのは2008年。その頃にはすでに廃盤、デッドストックだった可能性も高い。

どうしてこれほどの生地が10数年以上サルトリア・チャルディの工房に眠っていたのかは、果たして有史以来最大の謎である。

しかし少なくともこうしてブログで紹介してしまったからには、もう長くは残らないはずだ。まったく罪作りなものである。

FINTEX Super 150’s(売約済み)

フィンテックスのSuper 150’sとは、なんという強烈なワードだろう。

今時の成金趣味っぽく表現するのであればエルメス仕様のロールスロイスといった存在だ。(これほどわかりやすい喩えが他にあるだろうか?)

そもそもフィンテックスの生地の頂点だ。あまりのクオリティの高さに「生地のロールスロイス」と呼ばれていたのである。そして“他所の手”が入る前の黄金期のフィンテックスによるビンテージ生地は、ほぼ現存しないこともあり恐ろしく高い値段で取引されている。

あまりにも神格化されるあまりフィンテックスのFを少し匂わせるだけで、暇で有名な当店に電話が殺到するほどである。

何を隠そう、これがそれである。

しかしもっと驚くべきことに、これはフィンテックスがHolland & Sherryのために織った幻の秋冬生地だ。

チャルディ工房の職人達に深遠なる記憶を辿ってもらったところ、これはまだ高番手の生地が殆ど存在していなかった頃に、フィンテックスが驚くべき技術力で作り上げた「初期のSuper 150’s」だという。

だが彼らは…幾分の間この生地の存在を忘れていたのである。秘蔵の棚の随分下の方からこの一着分を引き抜いた時の感動といったら。まるでフランスの田舎の廃屋から時価3億円相当のビンテージフェラーリが出てきた時のようであった。

あまりも美しい光沢と、わずかな起毛感でしっとりとしなやかな手触り。そしてゆっくりと織られたビンテージ生地ならではの目付けの良さ。

強い芯を持ちながら甘美かつ官能的な舌触りで誘惑してくるビンテージのアマローネのようだ。

これもまたレナート・チャルディが選んだ生地だ。

色合いが良い。ありとあらゆるシチュエーションで活躍し、しかも圧倒的なラグジュアリーさとエレガントさを感じさせるゴールドベージュ。あのアルゴー神話の黄金の羊毛を思い浮かべるとき、私はついこの色を想像してしまう。

そして幅広で上品なヘリンボーン。何よりも「チャルディらしい」のである。

作るなら2パッチポケットのジャケットが良い。ベントはなくても良いかもしれない。いや、どんなスタイルでも良い。唯一条件がある。この生地を仕立てるならば、是が非でもサルトリア・チャルディの仕立てでなければならない。

 

さて随分長いブログになったが、これで終わりとしよう。

どちらの生地も1着ずつのみ、サルトリア・チャルディで注文受付中である。

MTMでも良いし、ビデオ通話を駆使したオンライン仮縫いでも良い。あるいは来年早々に向けて計画中のトランクショー再開に向けて仮縫いまで進めておくのも良いだろう。

断言しても良い。もう2度とこれほどの生地は出ない。この機会をお見逃しなきよう……。