こんにちは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。

誰もが一度は、パリ5区の5階建アパルトマンの屋根裏部屋に住んでみたいと願ったことがあるでしょう。誰でも一度は朝焼けの海辺に座り、小さな焚き火でコーヒーを淹れてみたいと思うか、あるいは千ページもある分厚い洋書の中を四角く切り抜いて、秘密の収納を作ってみたいと思うはずです。

そして日々を共にするジャケットを仕立ててみたい、これもまた実は同じような種類のささやかな願いなのです。しかし常識やルール、ブランド価値や周りからの評価など、細かなことを考えすぎてしまうために、物凄く難しいことに思えてしまう。

海辺でコーヒーを淹れるとき、その豆の焙煎具合や挽き具合がどんなものだとか、他人の用いているCOE(カップ・エクセレンス)優勝豆に比べて自分の豆のグレードがどうかとか、気にすることはないでしょう。

仕立ててみたいと願うこと、その本質はなんと慎ましいものか。

せっかくジャケットを仕立てるのであれば、難しいことを考えすぎてはいけません。

あなたの心の裾を引く魅力的なサルトリアで、そのとき憧れた生地で(その色や素材もそのときの思い出だと思って)、小さな夢を叶える感動と共にオーダーをしてしまいましょう。

その方がずっと、大人らしいではありませんか。

Sartoria Piccirillo サルトリア・ピッチリーロで仕立てたモヘアジャケット

さて、その慎ましい一歩を踏み出した私ですが、どうも踏み出したにも関わらず服が仕上がってこないといういつもの悩みに苛まれることとなりました。

それもそのはず、何人かのお客様にオーダーいただいているスーツがあり、そちらの進行こそが第一優先だからです。

そして待つこと数ヶ月、ついに上がってきたのがこちらのジャケットです。相変わらず私のジャケットは、オンラインオーダーのお客様の大量のシャツに中に埋もれて届くのですが。

イメージしていたのは、ナポリの初夏に颯爽とデニムとビスポークのジャケット、シャツを合わせて着こなすナポリの紳士達。

ナポリではよくライトグレーのジャケットにデニムを合わせ、スニーカーや革靴を履いてさらりと着こなしているものです。

ビスポーク仕立てのジャケットをパッチポケットにダブルステッチで仕上げれば、デニムと合わせてとてもエレガントなカジュアルさを演出することができます。バッグを使わずに、スコッチ(透明テープ)と丸めた謎ファイルを手に持てばより現地風ですな。なんと計算されたSprezzatura スプレッツァトゥーラ。

今回私が選んだのは、当店で一反まとめて購入して在庫しているビンテージのウールモヘアリネン生地。英国の老舗ミルが織り上げたもので、昔の生地ならではの織り感とリネンのネップ感が相まって非常に表情豊かです。

より美しく、男らしいシルエットで

まだシワが取れきれないままご紹介するのが残念ですが、どうでしょう。

前回よりもさらにリファインされたシルエットは、私の体に非常にナチュラルに沿いながらも、力強さを少しずつ加えてくれるのです。

Sartoria Piccirillo サルトリア・ピッチリーロのジャケットは、比較的しっかりとした毛芯を使っており、しかもナポリのいくつかのサルトリアがやるように胸周りの芯地を省略したりすることはありません。

これは地縫いや芯地の据付けを全て手縫いで行なっていることで、十分に柔らかさは得られるとジャンニが考えているからです。そこで柔らかさが得られるのであれば、芯地は省略しないほうが胸周りに立体感が出るのですね。

結果として出来上がるジャンニのジャケットは、ナポリの他の一流サルトリアに比べても肩からチェストにかけてのボリューム感が特に美しいのですね。

肩周りはむしろ構築的に見えるほどのしっかりとしたラインです。しかし肩パッドは特別厚いわけではありません。アイロンワークの生み出す立体感が、肩に男らしい立体を生み出してくれるのです。

もともとジャンニ本人も、それほどがっちりとしてた体つきをしているわけではありません。そのため彼にとっては、いかに男らしさを美しく補うかというのが、ジャケットでは大事な部分なのですね。

肩線は後ろに逃げ、私の前肩にしっかりと造形を合わせてくれています。そうして前傾斜の円を描くアームホールに、ふんわりとわずかなギャザーを寄せて袖付けを行うのが、ジャンニの得意技です。ボリューム感がありながらも、柔らかい雰囲気もある。

通常のマニカ・マッピーナと呼ばれるものよりも控えめに見えますが、しかしそれがむしろ昔ながらのナポリらしい風情ある表情なのですね。

いつも彼は言います。

「このサルトリアでやっていることは、ずーっと前から変わっていないよ。今じゃ皆、効率よくミシンで縫うようになっているけどね。ここでは手でやるのさ」

ジャンニ・ピッチリーロが仕立てるジャケットは、フルハンドメイドの中でも究極のものです。見える部分、見えない部分はもちろんのこと、普通はミシンで縫って飾りステッチを入れるシームラインさえも全て手縫いだけで行うのです。

なぜこれほどのフルハンドメイドで仕立てられるか

サルトリア・ピッチリーロがあるのは、治安の悪いと有名なフォルチェッラのすぐ脇です。普通に日本人が一人で行くには、少々穏やかでない120%下町と言えるような地域なのですね。

ジャンニに「今日はヴォメロ地区に行くよ」と言うと、彼は「上の地区ね」と何の気もなしに言います。

本人は特に気にしていないようですが、私からすると非常に興味深い。

丘の上にあり、ちょっと裕福な人々が住むヴォメロ地区に対して、フォルチェッラとこの近辺の下町は色々な意味で「下の地区」と言えるようなところです。

住む人々も違えば文化や、生活のスタイルも違う。

ヴォメロに住むあるナポリ人の友人が言いました。

「下の地区」には「生活」しかない。

確かにそうなのです。そこにはカクテルと音楽のナイトクラブもなければ、素晴らしい景色のレストランもない。娯楽も名所のようなものも殆どありません。

しかし生活があるのです。

ジャンニ・ピッチリーロの生活は服を仕立てることです。彼は朝9時〜10時にサルトリアに降りてきては(その上の階に住んでいるので)、14時頃には簡単なパニーニを食べて、20時頃にまた15分ほどでご飯を済ませて、21時過ぎまで服を作っている。

そう、ジャンニがこのような生活をしているから、彼の仕立てる服はナポリでも屈指のフルハンドであり続けるのです。

もし彼がヴォメロに住み、夕方には景色のいいバルでアペリティーボを、夜はナイトクラブでカクテルをという人であったならば、ジャケットを総手縫いで仕立てる時間はなかったのですから。

この場所と、その生活が生み出したハンドメイド。

いつこのジャケットを着てそこを訪れても、ジャンニ・ピッチリーロは服を仕立てている。そんな安心感こそが、ジャンニの作るジャケットに私が妙な愛着を持ってしまう理由かもしれません。

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