春夏ジャケット論 – 日本の夏にふさわしいジャケットとは?

美しい春夏ジャケットというのは、永遠の課題である。

ナポリの夏は暑い。気温で言えばアラブ人も汗をかくほど高いし、冷房設備は80年代のアルファロメオ並に貧弱である。

にも関わらず、彼らはジャケットを手放すことなく携えている。それはジャケットが、エレガンスの象徴であるからである。

しかしそれとは別に、ナポレターノ達が春夏にもジャケットを愛用できる単純明快な理由がある。それは湿度が低いことである。

ナポリの夏は暑い。しかしジメジメしてはいない。フランス人のジョークと比較してもドライな気候のため、歩いていれば暑いが日陰は涼しい。

ガレリア・ウンベルト裏のバル…《De Rosa》のテラス席で、ナポリ式の冷たいカプチーノを飲みながら人生の時間を浪費している分には、ジャケットを着ていてもよほど快適なのである。

一方日本である。

日本でのんびりと人生の時間を浪費するのは難しい。情報量が多く、商業的な娯楽が90%以上を占める東京の都会では、気づけば時間が失われている。

しかし日本人が春夏にジャケットを着ない一番単純明快な理由は、湿気で暑いからである。アブダビの砂漠でジャケットを着ても、日本ほど不快感を覚えることはない。それほどに暑いのである。

日本での春夏のジャケットには実に優雅な使い方がある。それはある意味、オープンカーに近い使い方である。

真夏の昼間にカンカン照りの中、屋根を開けて走るオープンカーはおよそ見栄っ張りである。運転する本人は汗だくで、助手席の女性は凶悪な紫外線に動揺している。

しかし夏の夕暮れと夜に街中を走るオープンカーは風を感じながら、街の光と夜空を全方向に眺めながらドライブできるのだから贅沢だ。そしてその様子はあまりにも優雅だ。

ジャケットも、春夏であればこの使い方がちょうど良い。

暑いのを我慢してジャケットを着る必要はない。とりあえず手に持って出かけるか、愛車の後部座席にでも載せておこう。昼間はエアコンの効いた室内にでも入ったときに羽織れば、それで十分にエレガントである。

そして夕方になったら、そのジャケットを羽織ろう。

日中の暑さが姿を潜めた夏の夜風の中、羽織るように着るリネンやモヘアは、ある意味究極の贅沢である。

そして夕方以降に着るのであれば、まさにこのNicola Giordanoの一着のようなものが良い。

数ある仕立ての中でもNicola Giordanoのジャケットは格別柔らかい。手縫いの芯地と最低限の副資材の組み合わせは、素晴らしい着心地だ。

そしてこの生地である。軽快なウールリネンだが、黄金期のモヘアのような美しい光沢と杢がある。夏の夜の明かりの下で、これほどにエレガントな生地はあるだろうか。

春夏ジャケットといえば、さんさんと降り注ぐ太陽の光に合うような生地や色を選びがちだ。

しかしナポリの夏と違い、日本の夏で最も風情がある時間は夜である。これは清少納言が枕草子を執筆したときから変わらぬ事実である。

ナポレターノ達のように派手な柄物や、ざっくりした生地感のジャケットを仕立てるのもの良い。でもせっかく日本で着るのなら、都会の夏の夜に佇むクラシック・オープンカーのような一着はどうだろう。

ちょうどこのNicola Giordanoのジャケットのような…。