こんばんは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。

金曜日の夜といえば大抵、こっそりと店を抜け出してカンパリトニックのようなアペリティフをひたすらに飲みながら、場末感漂うカウンターバーで空中の一点を眺めているものです。

レッドオレンジのカンパリがひたすらに苦味と甘味を交互に注ぎ込んでくると、周囲の騒音がエネルギッシュで即興的なビバップジャズに聞こえ始め、いよいよ視界がぐるぐると回り始めた頃にふと閃きが降ってくる。

(果たして、このような書き出しはどうだろうか)

「ある朝、店主・大橋が気がかりな夢から目ざめたとき、自分がベッドの上で1着のビスポークスーツに変ってしまっているのに気づいた。彼は羽のように柔らかい後ろ身頃を下にして横たわり、頭を少し上げると、何百ものステッチによって生み出されたふんわりとした立体の、自分の前身頃が見えた…」

そして「こいつはいい書き出しを思いついたぞ!」と、急いで会計を済ませて、勇み足で店へと戻ってきて、鍵を開けようとしたときに我に帰るのです。

これはどう考えても、フランツ・カフカ『変身』の冒頭にちょこざいな書き直しを行っただけの文章ではないか…と。

私は一瞬鍵を開けるのをやめて極めて心地の良い「板」の前に戻ることを考え、しかし正気に戻って店に入り、このような反省文とも取れるほど真面目な記事を執筆し始めるのです。

日本人の着こなしは本当にお洒落なのか?

日本人はしばしば「世界で最もお洒落な着こなしをしている」「非常に高感度でトレンドを理解している」あるいは逆に「本物を追求している」など高く評価されています。

しかし日本人の着こなしに疑問を持つ人も少なくありません。

イタリア人のスタイルを模倣しているというが、本当にイタリア人はこんな着こなしをしているのだろうか?

そうして日本ではスナップ集などが販売されたり、「着こなしはこうあるべきだ」というHOWTO的な雑誌や本が出版されたりするのですね。

個人的には日本人の着こなしは良いものと、そうでないものが入り乱れているように感じます。

それに対してナポリの人々の着こなしは?

こちらも玉石混交といったところですが、しかし私はこちらに非常に大きな魅力を感じるのです。

ナポリ人の着こなしと日本人の着こなし

ナポリの人々は気分で服を仕立て、選び、着こなしています。

5月にフランネルのジャケットを着ている人もいれば、リネンを着ている人もいる。完璧なスミズーラをいつまでも追求している人もいれば、すでに体が痩せて大きすぎる昔のビスポークジャケットを着ている老紳士も多い。

ですが彼らの場合、全く無理をすることなく、自分が着たいものや皆が習慣として着ているようなものを、好きなように着ている。そのため服があくまで生活と馴染んでいで、非常にナチュラルな優雅さを醸し出しているのです。

この時期にはこの素材、どの色にはどの色を合わせる、といったルールは一人一人が好みで考えるもので、それゆえ人のことをまるきり気にかけていないので、非常に力が抜けています。

この点が、私がナポリの人々の着こなしに魅力を感じる理由なのですね。

それに対して日本人の着こなしは、よほどスマートでフィッティングも良いことが多いです。世界のベストドレッサーのランキングを作れば、そこにはきっと数人、数十人の日本人がランクインするはずです。

しかし時より、日本人の着こなしがあまりにも計算されすぎていたり、過剰に作り込まれていたり、あるいは風景から浮き上がってしまったりしていることを感じます。

例えばカジュアルなマシンメイドのアンコンジャケットなどは、軽く着流すために作られているものです。またブートニエール等も、非常にカジュアルな着こなしのために用意されているものですね。

そのアンコンのジャケットを、ネクタイやポケットチーフ、ジレなどであまりにもドレスアップしすぎてしまうと、どうでしょう。そのうえネクタイのディンブルから、ポケットチーフの差し方まで計算されている場合、全てがカジュアルなアイテムなのに極限までドレスアップされていて、なんとなくミスマッチな雰囲気になってしまいます。

(ネクタイやポケットチーフは、ドレスアップするものです。ジャケット単体だと少し着こなしがリラックスしすぎてしまうと感じるディナーやパーティタイムに差して行くと非常にエレガントなのです)

また、服がその人やその人の生活から浮いてしまうのも非常に勿体無いことです。例えば普段地下鉄で移動をすることがほとんどの人がソラーロのスーツを着ていたら、スーツの本当の魅力を活かしきれないはずです。逆にパートナーと散歩をする休日には、もっとカジュアルでも良いかもしれません。

まだ暑い晩夏のうちにフランネルを着始める必要もありません。自分がそろそろ着たいな、と思う気温になったら着れば良いのです。

日本人は心から服を愛しています。その魅力を理解していますし、着こなす楽しみも、着こなし方も非常によく理解しています。しかしあまりに服を愛するあまりに、それが一人歩きしてしまう。また人が密集しているせいで、どうしても他の人のことが気になってしまいます。

どうも私たち日本人の真面目さが、ジャケットの着こなしを難しいものにしてしまうようです。

フィーリングで、より自然に着こなすこと

実は私はあまり外出時にネクタイを締めることがありません。私の場合にはジャケットスタイルで着こなすことが殆どなので、外出するときにはネクタイをせずにいることが多いです。(接客中は締めていることもあります)

しかしナポリでディナーやミーティングなどのために外出する時には、私はなんとなくネクタイを締めてしまうのですね。これはフィーリングで、まるきりなんの思案もなしに、気分的にネクタイを締めたくなるのです。

この違いはどこにあるのか。

実はナポリでは、ジャケットスタイルにネクタイでスマートに着こなしている紳士を非常によく見かけます。そのためビスポークのスーツなど持っていない若者であっても、なんとなくジャケットを着こなして、どこかで買ったネクタイを締めて颯爽と歩いていることが多い。すると自分が出かけるときにも、何かネクタイをするのが自然であるかのように感じます。

それに対して日本では、仕事以外でジャケットスタイルにネクタイをして歩くという習慣はあまりありませんし、見かけることも多くありません。カジュアルではジャケットを着ない方も多いですし、逆に飲み屋なども店によってはドレスアップしていると浮いてしまうということもあります。そのためなんとなくカジュアルなシーン、ネクタイを外して少しリラックスした着こなしにしたくなるのですね。

これは優劣ではなく、習慣やフィーリングの違いでしょう。

しかし本来、着こなしというのはこのような漠然とした習慣やフィーリングや、自分の生活に合わせて変わるものなのです。

片田舎の洋服屋の店主と、都内で働くエンジニアの男性が同じ服装をする必要はないのですね。都内の近代的な街並みの中、仕立ての良いネイビースーツをストイックに着こなすビジネスマンを見かけたとき、ハッとするほどカッコよく見えることだってあります。

その人にはその人にしか着こなせない服がありますし、またその場所には、その場所が最も似合う服があります。

そんな部分を意識して着こなしていったら、日本人はきっと世界で一番お洒落なウェルドレッサーになれるのではないかと思うのです。

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