こんばんは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。
私の家はナポリ中央駅から徒歩10分弱のところで、その立地にしては実に静かなところにあります。
四六時中クラクションが鳴るのと、金曜日の夜に感極まった若者たちが投げる爆竹の音をのぞいては、日本とそれほど変わらない生活ができるのです。
そして極め付けに、ナポリには日本と違って夜出かけられる場所がほとんどない。すると東洋学科の友達と遊びに出たりするとき以外は、いじけてブログを書くしかないのですね。
Noi facciamo tutto a mano 全て手で作ること
サルトリアに行くと彼らは必ずと言っていいほど、こう言います。
Noi facciamo tutto a mano.
私たちは全部、手でやっているよ。
しかし実際にどのくらい手でやっているかは、サルトリアによって全く異なります。文字通り手で殆どを仕立てていくサルトリアもあれば、ハンドメイドと言いながら出来上がったパーツを買って使っているサルトリアもある。
特にジャケットの中の部分というのは、完成すれば見ることはできません。
この部分に関しては私たちのような店側が現地で仕立てているのを見て、確かめて、そしてハンドメイドという言葉を使う限りはそのクオリティを保証しなければならないのです。
実際これだけたくさんのブランドやサルトリアが日本で紹介され、売られているにも関わらず。仕立て工房の写真や仕立てている動画が全然紹介されず、ブランドのイメージ写真ばかりが雑誌やウェブサイトに用いられるのはなぜか。
それにはやはり見て欲しくない、という何かしらの理由があるのです。
しかしサルトリア・チャルディをはじめとして、当店で扱うサルトリアに行ったときにはむしろ、もっとその仕立て風景を紹介したいと純粋に思います。
彼らはいつ行っても当店のお客様の名前がチョークで書かれた生地をカッティングしたり、縫ったり、アイロンを当てたりしています。表から見ても、裏返してみても手縫いのステッチが走っていて、ハンドメイドであることがわかります。
作りかけのジャケットを見ても、そこにはすでに体の形に合わせた立体が生まれています。それは非常に丁寧なアイロンワークと芯地のハ刺しがあってこそ実現できます。
一着のジャケットやコートにこれだけの労力がかかっていれば、むしろ紹介せずにはいられないはずなのです。
熱意が伝わってくるか?
効率化しようと思えばいくらでもできてしまう時代です。うまくミシンを使えば仕立てにかかる時間は半分になるでしょう。
そんな中で頑なに手縫いの仕立てを続けるのは、いくらナポリのサルトリアであっても人並み以上の熱意がなければできません。
そしてその熱意を目の当たりにした人は、その仕事や真摯さを情熱を持って紹介したくなるはずなのです。
取り扱う人や、紹介する人がどれだけ情熱を持ってそのサルトリアやブランドを語っているかを見る。
また同じように仕上がった服にも平凡さや退屈からは程遠い、躍動感があります。
本当にTutto a mano 全て手作業で作られた服からは、いわばサルトリアの熱気が伝わってくるのです。