こんばんは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。
今日はここに、一枚の面白い写真を用意いたしました。そう、30年前のナポリ仕立てと今年の6月に私がSartoria Caracciolo サルトリア・カラッチオーロで仕立てたジャケットを並べて撮影した写真です。
さて、どちらがどちらでしょう。
すぐにわかった人はきっと、モロッコから対岸のスペイン・アルヘシラスで魚を釣っている老人が見えるほど目がよくてハンガーの「Caracciolo」の文字が読めたか、あるいは私のinstagramを毎日チェックしていただいている方でしょう。
そう、もし何も考えずにぼんやりとこの写真を見たのであれば、これがまさか30年の時を隔てた2着のナポリ仕立てだとは気づかないはずなのです。
クラシックは、驚くほど変わらない
右のジャケットはナポリの医学博士であったランバルディ教授が、フィランジエーリ通りに昔存在したサルトリアで30年も昔に仕立てた一着。
Sartoria UM すなわちサルトリア・ウーゴ・マルサはランバルディ夫人いわくヴィンツェンツォ・アットリーニに並ぶ偉大なマエストロだったのだとか。
このページでご紹介させていただいている、私がランバルディ夫人に頂いたスーツやジャケットは殆どがこのSartoria UMのものでした。
そしてそのスタイルは、ジャケットによって差はあるものの、殆どが今のクラシックと呼ばれているものと大差ない雰囲気。ちょうどこの写真のようなスタイルなのです。
私は先日Sartoria Caracciolo サルトリア・カラッチオーロを紹介する記事で、このジャケットは20年着てもおかしくない不変性を持っている、なんていうことを言いました。
しかし実際に見てみれば、それは20年どころか何年経ってもあくまでSartoria Caracciolo サルトリア・カラッチオーロのスタイルでしかないし、違和感などない。
クラシックは、驚くほど変わらないものなのですね。
わずかな違いは、フィーリングとして現れる
しかし厳密に言うとやはり、このSartoria Caracciolo サルトリア・カラッチオーロのジャケットと30年前のSartoria UMのジャケットは異なります。
ディテールの違いというよりも、なんとなくフィーリングで違いを感じるのです。
それにはいくつかの小さな、ほんのわずかな違いが関係しています。
例えば左右のジャケットではわずかにゴージの高さが違うことがわかりますね。現在のジャケットはゴージがより高く、以前のものは少し低めとなっています。
合わせて胸ポケットに位置も現在のものの方が高くなっており、ウーゴ・マルサのジャケットは少し低めのところに胸ポケットが付きます。
また私のSartoria Caracciolo サルトリア・カラッチオーロのジャケットにはカチョッポリのウールシルクリネンが使われており、大変しなやかで光沢感があります。それに対しウーゴ・マルサのジャケットには昔ながらのゴリっとしたモヘア混ウールが使われており、マットな風合いです。
そしてこのような小さな違いが、なんとなく左右のジャケットに違うフィーリングをもたせているのです。
答えはない。好みでディテールを決めること
2つのジャケットを見比べて、あることに気がつくでしょう。
それは意外にも30年前のジャケットの方がラペルが細く、ある意味では今風の雰囲気になっていることです。
しかしクラシックに答えはないのです。
このジャケットがラペルが細かろうと、あるいはSartoria Caracciolo サルトリア・カラッチオーロのジャケットがラペルが太かろうと、関係ありません。
ラペルの幅を数値で比較し、「この数値こそがクラシック」と主張などしようものなら、おそらく10年ばかりたった頃には「やつは天動説支持者だったんだぜ」と後ろ指を差されることとなるでしょう。
例えばラペルの幅については、好みやその人の体格などに合わせて決めているのであって、正解などはありません。
また先ほどゴージやポケットの位置の変化についても書きました。しかし新しいジャケットのゴージが必ずしも高くある必要はありません。
自分が少しゆったりとした力の抜けた雰囲気のジャケットを求めていたら、それらを少し下げれば良いことなのですから。
クラシックに答えはありません。
基本的な点でクラシックを押さえたら、細かなディテールなど全てのことを好みで選ぶこと。
30年前のジャケットが教えてくれるのは、クラシックという言葉のおおらかさです。