こんばんは、プロフェソーレ・ランバルディ静岡の大橋です。
最近はご案内ばかりでめっきりブログが物足りなくなった、という方のために今日は実に経済効果のなさそうなブログを執筆することにいたしましょう。
なぜナポリ仕立てはファッションではなく、文化なのか。
こんな長くてくどい文章を書くのは、きっと今日が最後でしょう。今週は…。
服=ファッションなのか?
もともと洋服とファッションというのは、実に危うい関係性のもとに成り立っています。すなわちどちらも同じものとして見られがちで、確かに同じものである場合もあり、しかし全く別物として理解しなければならないこともある。
誂え服でもそれをどのようなスタイルで仕立て、どのように着こなすかを考えたときにはそれはファッションの範疇と言えるでしょう。
ファッションという言葉には、その時々のトレンドという意味があります。皆さんもご存知の通り、時代によって着ていて「普通」に見えるファッションは変わります。
私たちが愛してやまないクラシックスタイルでさえ、本質的にはここ数十年の変化の少ないトレンドと言って差し支えがないのです。
ですがプロフェソーレ・ランバルディ静岡では、ナポリ仕立てを少し違った観点から扱っています。それが文化というものです。
これは装い方というよりも作り手の物語であり、職人と顧客だけでなく、職人と街、顧客と場所、土地柄と感性など様々なものが複雑に交錯して出来上がった一つの「継続する遺産」なのです。
服、その特別なること
もともと、服は人間にとって単なるお飾りではありません。
エデンの園で平和に暮らしていたイヴは、ずる賢い蛇にそそのかされて善悪の知識の木になる実を食べてしまった。イヴに従いアダムにも食べさせた。するとたちまち2人は自分たちが裸であることに気づき、恥ずかしくなって体をイチジクの葉で隠した。 – 旧約聖書『創世記』
また古い話を持ち出したなヘンテコな洋服屋め、と思われるかもしれません。なあに、昨日食べたご飯も覚えていない私にとって、24時間前も2700年前もそう変わりませんよ。
みなさんもご存知のこの一説ですが、面白い話だと思いませんか。
書かれている通り、知恵をつけた彼らは、まず真っ先に服を求めたのです。
紀元前3500年頃には人類最初の文明を起こしたと言われるシュメール人が、装飾的な羊毛のマントやベルトを巻くようなスタイルを確立していたと言われています。
2000年以上にわたり世界そのものであったともいえる「貨幣」でさえ、紀元前7世紀のリディア王国が作るまでは本格的なものが存在しなかったのに、服はそれよりも3000年近く前からその形が追求され、改良されてきたのです。
服は単なるお洒落ではなく、ある時は実用的な意味で、ある時は宗教的な意味で非常に大切なものでした。
それから時代によって、また地域によって、服は進化しました。
体を守るため、裸体で恥をかかないために生まれた服は、部族や人種を表すようになります。次第に服は身分を、さらには職業を表すようになり、ついには小さな団体を、そして個人を表すようになりました。
運命的な服、ナポリ仕立て
時代は下って1900年代。
もはや多くの服が意味をなくし、単なるファッション=お洒落もしくは実用品になりつつあった時代に、極めて局所的で特徴的な服が生まれた。
作り手の物語であり、職人と顧客だけでなく、職人と街、顧客と場所、土地柄と感性など様々なものが複雑に交錯して出来上がった一つの「継続する遺産」としての服。
これがナポリ仕立てです。
それは今なお着る人だけでなく、街とそこに住む人、そこでの生活そのものに強い影響を与え続けている。
ここに「ナポリ仕立ては文化だ」私がといつも仰々しく書き立てている理由があります。
例えばミケランジェロのダヴィデ像。
これが紀元前3000年頃から脈々と伝承されてきた神話、そこから編纂された聖書、ヨーロッパ世界を支配したギリシア・ローマの文化、暗黒時代、そしてルネサンスと長い歴史の中で運命的に生まれた傑作であることはお分かりでしょう。
ナポリ仕立てもまた、そのようなものなのです。
ギリシア人が入植してから何度も支配者が変わることで生まれたナポリ独自の気風、地中海の風、都市国家というよりは王国として発展した歴史、英国人の置き土産、南イタリアの貧さ。そういうものが何万と積み重なって生まれた、運命的な服なのですね。
ほら、こうして想いをはせてみるとナポリ仕立てがより愛くるしく思えるではありませんか!
それは決して色の組み合わせや、裾の長さをどうするかというだけの話ではないのです。
文化には人の手がある
さて、もう一つ忘れてはならないことは、文化にはいつも人の手が関わっているということです。
科学技術が発達した現代において、一枚の写真を美しい絵画風の画像に変えるのは難しいことではありません。もはやAIが要望に合わせて絵を描いてくれる時代も遠くないでしょう。
しかしそういったものが文化と呼ばれることは、おそらくないはずです。
実は日本語の「文化」にあたる単語、英語のCulture カルチャーやイタリア語のCultura クルトゥーラはラテン語のColere コレレ = 「耕す」という単語が語源とされています。
それはどういうことか。
文化が人の手作業と、果てしない労働、そして無限の努力、そして何かを生み出すという強い意志によって生み出されるものだということです。
ですから大きなブランドロゴがあしらわれたハイブランドは文化というよりビジネスと呼ぶ方がしっくりきますが、毎日毎日続く果てしない手作業でしか生み出せない服を作り続けるナポリのサルトリア はいかにも文化と呼びたくなるものなのです。
建築が文化ではなく工業になったのは、20世紀に機械が実に効率よく動いてくれるようになってからです。
逆に量販店の白い家具を文化とは呼べなくても、クイーンアン時代のアンティーク家具を、いやそれどころか田舎の実家にある日本彫刻の入った古いタンスを文化と呼びたくなる感覚はどこからくるか……。
ナポリ仕立てを見にまとうとき、それがただのファッションではないことを少しだけ思い出してみましょう。
すると不思議と、一着のスーツが今までと違った色を帯びて見えるようになるかもしれません。
プロフェソーレ・ランバルディ静岡が扱うスーツは、”その色”のスーツなのです。